舘ひろしは暴走族時代から岩城滉一と険悪? バイク、バンドクールス時代のエピソード、矢沢永吉との関係も紹介

あぶない刑事でブレイクした後、今なお第一線で色気とユーモアを振りまく俳優、舘ひろし。

そんな舘ひろしは、実は伝説の暴走族⇒バンドマンとして芸能界に入りました。

その他、矢沢永吉との逸話もあり、舘ひろしの過去のエピソードは話題満点!

今回はそんな舘ひろしのエピソードを掘り下げて紹介します

■舘ひろしのプロフィール

本名:舘 廣
生年月日:1950年3月31日
身長:179cm
血液型:A型
出身地:愛知県名古屋市
最終学歴:千葉工業大学中退
趣味:ゴルフ、乗馬、ヨット
所属事務所:石原プロモーション

(主な音楽活動)
1975年、ロックバンド「クールス」のボーカルとして、「紫のハイウェイ」でデビュー。
その後「あぶない刑事」の主題歌をはじめ、数多く楽曲を発表する。
「泣かないで」で、1984年の第35回紅白歌合戦出場。

(主な出演作)
1976年:映画「暴力教室」俳優デビュー
「西部警察」シリーズ、「あぶない刑事」シリーズ、「新宿鮫」シリーズ、大河ドラマ「功名が辻」、
「パパとムスメの7日間」、「坂の上の雲」 etc…

■暴走族⇒ロックバンド「クールス」のリーダー舘ひろし

・伝説の暴走族「クールス」

そんな舘ひろしの芸能界デビューのきっかけとなったのは、「クールス」というバイクチームでした。1974年12月に舘ひろしがリーダーとなり結成されたクールスは、21人のメンバーが全員リーゼントに黒の革ジャンを身にまとい、黒や青のジーンズに乗った姿が注目されました。

クールスは、当時人気絶頂だったロックバンド「キャロル」の解散ライブで親衛隊を務め、その存在感を示しました。この話は、キャロルのメンバーであった矢沢永吉さんから持ちかけられたものであり、クールスが注目されていた証拠です。中には、キャロルではなくクールスを観に来た人々もいたと言われています。

そんなクールスが注目されるのは当然で、彼らの素人ながらも圧倒的な人気は芸能界が見逃すことはありませんでした。そして、クールスはキングレコードからバンドデビューの話を持ちかけられることになります。

当初、バンドデビューには難色を示していた舘ひろしですが、キングレコード社員の情熱と、チームのメンバーを食べさせていくという思いに心を動かされ、デビューを決意します。彼はクールスから選ばれた7人とともにバンドを結成し、1975年9月に「紫のハイウェイ」でデビューしました。ちなみに、この曲の作曲は矢沢永吉さんが手がけました。彼らはキャロルの解散ライブで世話になったことへの感謝の気持ちも込めていたのでしょう。

芸能界デビューを果たした舘ひろしは、当時東映の社長を務めていた岡田茂さんの誘いにより、東映俳優センターに所属しました。そして、彼は出演したドラマ「西部警察」をきっかけに石原軍団に加入し、今では石原軍団にとって欠かせない存在となっています。

・舘ひろしと岩城滉一の関係は険悪だったのか?

クールスの原点となるバイクチームを結成した舘ひろしと、岩城滉一さんの関係は実は険悪ではありませんでした。

バイクチーム結成のきっかけとなったのは、舘ひろしと岩城滉一さんの出会いです。ある飲食店で岩城滉一さんが食事をしていると、舘ひろしは彼に声をかけて「あのバイク、君の?」と尋ねました。それがきっかけで二人は意気投合し、舘ひろしはまだバイクの免許を持っていなかったため、岩城滉一さんのバイクに二人乗りして教習所に通ったそうです。

その後、舘ひろしと岩城滉一さんは「少数精鋭で面白いチームを作ろう」という思いでクールスの原点となるバイクチームを立ち上げました。舘ひろしをリーダーとし、岩城滉一さんはサブリーダーとしてクールスを牽引しました。しかし、岩城滉一さんはバンドとしてデビューするメンバーには参加しませんでした。

岩城滉一さんがバンドに参加しなかった理由は、既に東映の映画に出演することが決まっていたからです。ただし、岩城滉一さんは自分だけが俳優としてデビューすることに抵抗を感じ、他のメンバーも出演できないか映画関係者に掛け合ったそうです。しかし、舘ひろしは「バンドはやるけど、映画には出ない」と断り、クールスメンバーの俳優活動は実現しませんでした。

この件により、舘ひろしと岩城滉一さんの気持ちにはズレが生じたと言われています。長い間疎遠になっていた彼らは、クールスの創設メンバーである玉川雅巳さんの葬儀で再会しました。お互いに声をかけ、玉川雅巳さんの死を共に悲しんだと伝えられています。

・舘ひろしの愛車は?

バイクチームのリーダーである舘ひろしは、バイク好きとしても知られています。

彼が「西部警察」や「あぶない刑事」などで乗っていたバイクは、GS650GやGSX1100X KATANA、GSX-1100、ローライダー/FXDLなどでした。また、クールス時代にはハーレーダビッドソンの「XLH1000 スポーツスター」にも乗っていたそうです。

現在彼が乗っているバイクについての具体的な情報はわかりませんが、おそらく彼はハーレーダビッドソンを愛用しているのではないでしょうか。ハーレーダビッドソンは「バイクの王様」とも称され、世界中に愛好家がいます。一度乗ってしまうと、他のバイクでは満足できなくなってしまうかもしれません。

また、舘ひろしはバイクだけでなく、モータースポーツも好きとして知られています。彼の愛車には常に注目が集まっています。

私たちは彼の愛車として、モーガン・プラス4やジャガーXJサルーンを確認しました。モーガン・プラス4はプライベート用に、ジャガーXJサルーンは仕事での移動に使用しているようです。

ちなみに、彼の仕事の移動では運転手が付いているとのことです。それだけ舘ひろしは重要な存在であることが伺えますね。

 

■舘ひろしと矢沢永吉の永遠のライバル? 二人の関係は??

舘ひろしが創設したバイクチームのクールスが一躍脚光を浴びたのは、キャロルの解散コンサートでした。また、クールスが歌手デビューする際には矢沢永吉さんが作曲を担当しました。

このような経緯から、舘ひろしが矢沢永吉さんの弟分だと誤解されることがありますが、実際にはそうではありません。彼らは兄弟分ではなく、対等な関係にあります。

その証拠として、あるエピソードがあります。以前、舘ひろしと石原軍団関係者がお茶をしている際に、偶然にも矢沢永吉さんも近くでスタッフと打ち合わせをしていたそうです。舘ひろしが矢沢永吉さんに声をかけると、矢沢永吉さんも「ひろしちゃん!久しぶり!元気?」と返事をしたというエピソードです。二人が対等な関係であることが伺えますね。