テレビドラマ界において独自の存在感を放つ俳優、柴田恭兵さん。彼は1977年、ドラマ「大都会 PARTII」を皮切りに華々しいデビューを飾りました。
彼の名が広く知られるようになったのは、多くの刑事ドラマに出演し、その渋さとスタイリッシュさでスクリーンを彩ったからです。今日までに主演作品は20本以上にも上ります。
今回は、若き日の柴田恭兵さんの詳細や、彼が生み出した象徴的な「関係ないね」のセリフ等について探ります。
もくじ
■柴田恭兵のプロフィール
愛称:恭サマ
本名:柴田恭兵
生年月日:1951年(昭和26年)8月18日
身長:176cm
出身地:静岡県清水市
最終学歴:日本大学経済学部卒業
所属事務所:柴田恭兵事務所
■柴田恭兵:若き日の魅力とイケメンエピソード
年齢を重ねてもなお、その魅力を増す柴田恭兵さん。2023年には既に72歳になられます。
2020年に公開された「コンフィデンスマンJP-プリンセス編-」に出演した際には、その増した渋さと格好良さで観客を魅了しました。
・柴田恭兵 in コンフィデンスマンJP
しかし、柴田恭兵さんといえば、若い頃からその非凡なイケメンさが話題で、早くからその渋さも備えていました。
彼は「コンフィデンスマンJPプリンセス編」で執事役を務め、女性観客の心を鷲掴みにしました。若い頃の彼の姿は、まるで漫画から飛び出したかのようなキャラクター性を持っていました。
・柴田恭兵の若き日
実は、柴田恭兵さんが役者としてデビューする前は、大学を卒業後、服飾関係の会社でサラリーマンとして働いていました。
彼が社会人として働いていたのは、結婚を控えていた女性との結婚資金を貯めるためでした。しかし、社会人生活2年目に彼女との関係が終わり、大学時代から知り合いだったミュージカル劇団「東京キッドブラザース」からの誘いを受けて、役者の道に進むことを決意しました。
その後すぐに彼のイケメン度が開花し、1975年に舞台「十月は黄昏の国」に出演するや否や、その甘い顔立ちが話題となり、初舞台にしてすぐさま看板俳優へと駆け上がりました。
そして、1977年に入ると芸能界からのオファーが舞い込み、「大都会 PARTII」でテレビデビューを果たしました。スターになるというのは、人々の目を引きつける特別な何かを持っていることを意味しますね。
■名台詞「関係ないね」の裏話とは⁉
柴田恭兵さんと言えば、その象徴的なセリフ「関係ないね」がすぐに思い浮かぶ人も多いでしょう。
柴田さんのモノマネをするタレント、例えば木梨憲武さんや田代まさしさんが、ほぼ必ずと言っていいほどこのセリフを使っています。
しかしながら、意外な事実として、「あぶない刑事」シリーズの中で柴田さんが「関係ないね」と言ったのは、1988年に公開された「またまたあぶない刑事」の中で一度だけだと言います。
この事実は、2016年に柴田さんがテレビ番組「行列のできる法律相談所」に出演した際に本人から明かされました。SNS上では、「もっと言っていたと思っていた」という反応が多く見受けられました。
実は、この「関係ないね」というセリフの始まりは、1980年代に柴田さんが出演したポッカコーヒーのCMからだったといいます。
このCMを見たモノマネタレントたちは、これを柴田さんのモノマネの際に採用し、次第にそのセリフが彼の代名詞のようになりました。
「またまたあぶない刑事」における「関係ないね」は、そういったモノマネに対する逆オマージュの形とも解釈できます。
その後も、「関係ないね」のイメージが柴田さんに強く付きまとうことから、彼が出演するドラマや映画等で、オマージュ的に「関係ないね」というセリフを使いたいという風潮がありました。例えば1992年放送のドラマ「子供が寝たあとで」では、毎回ほぼ確実にこのセリフが使われました。
■独特の走り方「恭兵走り」と「高速スキップ」の誕生秘話
柴田恭兵さんといえば、彼の特徴的な「恭兵走り」も見逃せません。
「あぶない刑事」で彼が犯人を追いかける際の、右手に拳銃を構え、左手を開いた状態での軽快な走り方が格好良く、そこから「恭兵走り」と呼ばれるようになりました。
また、歌手としても活動していた柴田さんのライブでは、スキップで舞台を駆け回る姿が話題となりました。その軽やかなステップはさることながら、そのスキップの速さは人々を驚かせました。
滑るようにスキップで移動する柴田さんの姿は、何とも格好良いものです。
2023年には72歳を迎える柴田恭兵さんですが、これからもその才能を活かした素晴らしい作品を届けてくれることでしょう。