モデルとして11歳の頃にデビューし、14歳の時にCM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった宮沢りえさん。
今でも女優として芸能界の第一線で走り続けている彼女ですが、かつて「枯れ枝」「骸骨」といった言葉で形容されるほど激痩せし、自殺未遂騒動までをも起こしていた経歴を持つことはご存知でしょうか?
今回は、宮沢りえさんの激痩せ時の写真、激瘦せの理由といわれる母親の存在について、現在の活動についてまとめました。
もくじ
激痩せの過去… 宮沢りえプロフィール
画像引用:google.com
生年月日 1973年4月6日(49歳)
出生地 東京都練馬区
身長 167 cm
血液型 B型
職業 女優、ファッションモデル
ジャンル 映画、テレビドラマ、CM
活動期間 1985年 –
配偶者 実業家一般人男性(2009年 – 2016年)
森田剛(2018年 – )
11歳の頃から活躍されている宮沢りえさん。
1987年の「三井のリハウス」のCMで一躍美少女として注目され、その翌年に映画『ぼくらの七日間戦争』の主演を務めたことで人気を揺るぎないものとしました。
女優、モデル、歌手など様々な仕事で多忙な中、16歳の頃に発売したカレンダーでは“ふんどし”姿を披露、さらに18歳の人気絶頂期に出したヘアヌード写真集『Santa Fe』は販売部数155万部と言われ、日本の芸能人写真集の売上部数の最高記録となっています。
画像引用:google.com
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当時の写真を見ても、とても健康的で普通体型の宮沢りえさん。
“激瘦せ”のイメージはありませんが、ある事をきっかけに宮沢りえさんの身体は急激に崩れていくことになります。
宮沢りえの激痩せの理由は…貴乃花との婚約破棄?
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1992年11月、宮沢りえさんは人気絶頂の19歳の時に1歳年上の力士・貴乃花(当時貴花田)との婚約を発表しました。記者会見に登場した2人は幸せいっぱいの笑顔で手を繋ぎ、1993年5月の挙式予定を発表。当時は“若貴ブーム”全盛期で、史上最年少での大関昇進を目前にした貴乃花と、ヘアヌード写真集『Santa Fe』がベストセラーとなり、超人気アイドルの2人の婚約に、世間は“世紀の結婚”と祝福しました。
しかし、1992年の暮れごろから破局の噂が立ち始め、1993年の初場所を終えた1月、婚約解消が決定。
宮沢りえさんは単独で記者会見を行い、貴乃花には「強い横綱になってください」と最後の言葉とともに婚約指輪を返却したことを明かしました。
この破局を境に、宮沢りえさんは日に日にガリガリにやせ細っていきます。
激痩せ…そして自殺未遂…母親に振り回される宮沢りえの人生…
画像引用:google.com
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宮沢りえさんの激痩せの様子が世間の注目を集め、ワイドショーでも連日報道されていました。
骨と皮がついているだけ、という感じで、デコルテ部分も骨が浮き出てしまっています。
体重は35kgくらいなのではとも言われていました。
一方、破局に至った理由についても方々で物議を醸し、様々な憶測が飛び交いました。
有力とされている理由としては、宮沢りえさんのマネージャーとして熱心な「ステージママ」ぶりが常に話題となっていた母親の存在。事務所の経営から、宮沢りえさんのイメージ作りや仕事選び、プライベートにまで発言力・決定力を持っていたとも言われています。なんと、『Santa Fe』の撮影の時も宮沢りえさんはヌード撮影ということは現場で知らされ、お母様が全て独断で事前に決めていたという話も。デビューからトップスターになるまで全て母親の言う通りにしてきた宮沢りえさんですので、婚約から婚約破棄に至るまでも大きな鍵を握っていそうです。一説には、宮沢りえさんの母親が酔った勢いで貴乃花の母、憲子さんを悪く言ったことをきっかけに亀裂が入ったことや、宮沢りえさんの母親が各界の嫁になって娘が芸能界引退をするのを止めたくて結婚を破断にするため親交のあった美川憲一さんなど色々な所に根回しをしたことが破局の原因なんだとか…?
婚約が解消となった傷心の宮沢りえさんですが、しばらくすると歌舞伎役者で妻子のある中村勘三郎(当時は勘九郎)との交際が噂されます。しかし、これも母親の思惑が働いたと言われていて…。歌舞伎役者の勘三郎さんのような男性と付き合うことは、芸の上でも女性としてもプラスになると考えた母親がけしかけた話なんだとか。宮沢りえさんが本当に交際をしたかったのは、勘三郎さんとは別の若い歌舞伎役者である市川右團次(当時は右近)さんだったのだそう。そして市川右團次さんに元モデルの恋人がいると週刊誌に報じられた約10日後に、母親と大喧嘩し、宮沢りえさんは京都のホテルで自殺未遂騒動を起こしてしまいます。
激瘦せの宮沢りえはアメリカへ移住して拒食症療養?
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婚約破棄、激瘦せ、不倫報道、自殺未遂、その後も映画出演を直前に降板するなどしたことで、マスコミからのバッシング報道が相次いだこともあり、宮沢りえさんはお母様と2人でアメリカのサンディエゴに移住し、一時芸能活動を休止する状態となります。
拒食症と見られていた宮沢りえさんですが、アメリカでの療養が功を奏したようで、2001年頃からだんだんと芸能活動を再スタートさせていきます。
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2001年に主演した香港映画『華の愛〜遊園驚夢』で、第23回モスクワ国際映画祭・主演女優賞受賞しています。少し体重も戻り、ふっくらして健康的に見えますね。
摂食障害も激痩せも克服し、再起した女優・宮沢りえ
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ここから宮沢りえさんは女優として快進撃をみせていきます。
2003年には『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞。
2005年には、『父と暮らせば』で第47回ブルーリボン賞・主演女優賞受賞。
2013年には、舞台終了後に軽度の心筋梗塞と診断され急遽入院となった天海祐希さんの代役として、わずか2日間の稽古期間を置いたのち、2時間20分、台詞回しの多いヒロイン役を見事に演じきったことが話題となり、大絶賛されました。
その後も2014年映画『紙の月』で7年ぶりに映画主演を果たすなど、女優として大活躍をみせています。
激瘦せを心配されていた時期から比べると、身体も健康的に戻ったように見えます。
プライベートでは、2009年に子供を授かったことを発表し、結婚。お相手は40歳代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーであることを明かしています。
ただ、宮沢りえさんの母親・光子さんはこの結婚に一貫して反対だったそうで、それが理由かどうかは分かりませんが、2016年には離婚しています。
母・光子さんは、2014年9月23日65歳の時に肝腫瘍で亡くなっています。
その後、2018年3月には当時V6だった森田剛さんと再婚。現役ジャニーズアイドルとの結婚は大きな話題となりました。
2人は2016年の8月の舞台での共演をきっかけに交際が始まり、周囲に隠すことなく堂々と交際をしていました。母親の意見や介入が一切ない状態で自らの意思で選んだ唯一の男性なのかもしれませんね。元夫との間に生まれたアロハちゃんが森田剛さんのことを「パパ」と呼びだしたのが再婚を決意したきっかけと話しています。
驚きの激瘦せの過去。宮沢りえに対する世間の声
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宮沢りえさんと母親との関係に言及するツイートが多くみられました。
宮沢りえ 母親にコントロールし続けられた芸能人生、過去には激痩せ&摂食障害、自殺未遂も… まとめ
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11歳で芸能デビュー、それから実の母親に芸能活動や恋愛まで全てをコントロールされ、言うがままに従ってきたかのような芸能人生を歩んできた宮沢りえさん。
現在は、自分の意思で選んだパートナーである森田剛さんと幸せな家庭を築けているようです。
芸能人の摂食障害は珍しいことではなく、最近では、NiziUのミイヒさんが激痩せし、プロデューサーのJ.Y.Parkから最終オーディションで「ちょっとやせてるから、ごはんいっぱい食べてね」と声を掛けられたその2か月後に「体調不良」を理由に活動休止したことも話題になりました。
華々しい芸能界ですが、多大なストレスがかかるのでしょうね…。
今後も誰にもコントロールされることない宮沢りえさんの人生が、輝かしいものであるように願っています!