フォークソング歌手として活躍し、「関白宣言」など数々のヒット曲を世に送り出した さだまさしさん。
そんなさだまさしさんには弟と妹がおり、ともに非常に有名な方でした!
また、さだまさしさんのご家族や実家が長崎のどこにあるのかも気になるところです。
さっそく、さだまさしさんの弟や妹、や父親・母親、そして実家が長崎のどこにあるのかについてご紹介します。
もくじ
【さだまさしのプロフィール】
本名:佐田 雅志(さだ まさし)
生年月日:1952年(昭和27年)4月10日
身長:165cm
出身地:長崎県長崎市
最終学歴:國學院大學中退
所属事務所:さだ企画
【さだまさしの父親と母親はどんな人?】
・さだまさしの父親は佐田雅人
それでは、さだまさしさんの父親と母親についても見ていきましょう。
さだまさしさんの父親は佐田雅人(さだまさと)さんといいます。
さだまさしさんが幼い頃、父親は材木商を営んでいました。
当時、さだまさしさんのご家庭は裕福で、10部屋以上もある大きな家に住んでいたそうです。
しかし、1957年に長崎で大水害が発生し、父親の事業は傾いてしまいました。
豪邸を手放し、一転して小さな家に住むことになったのです。
さだまさしさんは自叙伝「かすてぃら」でも、父親である雅人さんについて触れられています。
自伝では、さだまさしさんが子供の頃、父親との関係が良くなかったことや、父親が多額の借金を抱えていたことなどが描かれています。
それでもさだまさしさんは、父親のために「精霊流し」で得た印税を使って借金を返済するなど、父親に対して孝行を尽くしてきたのです。
2009年に父親の雅人さんは89歳で亡くなりました。
さだまさしさんは、長年音楽活動を通じてさまざまな楽曲を発表してきました。
特に、さだまさしさんの父親をテーマにした楽曲は数多くあります。
また、さだまさしさんの自叙伝「かすてぃら」は遠藤憲一さん主演でドラマ化され、名作として広く知られています。
・さだまさしの母親は佐田喜代子さん
さだまさしさんの母親は佐田喜代子(さだきよこ)さん。
さだまさしの実家のある長崎県長崎市では有名な喫茶店『自由飛行館』をきりもりしていた有名なママさんだったようです。
彼女は自身の子育てを綴った本「永き旋律―さだ家の母と子どもたち」を発売し、注目を浴びました。
さだまさしさんは、3歳からヴァイオリンを習い始め、その後音楽の才能を開花させました。
中学1年生の時には、ヴァイオリン修行のために単身上京し、早くから音楽活動を追求してきました。
佐田喜代子さんは、息子であるさだまさしさんを一貫して支えてきた存在です。
息子を上京させるなど、中学生の時から彼の音楽活動を支えるために様々な努力をされたことでしょう。
佐田喜代子さんは2016年に90歳で亡くなりました。
さだまさしさんは、ご両親を既に失っていますが、彼らからはとても素晴らしい教えと愛情を受け継いでいることが伺えます。
【さだまさしの弟はプロサッカー選手の佐田繁理】
次にさだまさしの弟を紹介します。
さだまさしさんの弟は佐田繁理(さだしげり)さんという方です。
驚くことに、佐田繁理さんは日本人として初めて海外でプロサッカー選手として活躍した方なのです。
佐田繁理さんは1954年に生まれ、さだまさしさんより2歳年下です。
現在は「さだ企画」という個人事務所の社長を務めています。
佐田繁理さんの経歴を見てみると、長崎南山高等学校を卒業後、サッカーに打ち込んでいたようです。
彼はフォワードのポジションでプレーし、高校時代には長崎県選抜に選ばれ、九州大会にも出場して注目を浴びていました。
高校卒業後は台湾大学に留学し、サッカー部で活躍し続けました。
その留学中には、なんと華僑(かつて中国に生まれ、その後外国に移住していた子や子孫)の子と勘違いされ、台湾代表の招集を受けたこともあったそうです。
1975年には香港のサッカーリーグチームに入団し、日本人として初めて海外でプロサッカー選手として活躍しました。
その後、ニュージーランドへ留学し、英語を学ぶために滞在しました。
さだまさしさんは後に個人事務所「さだ企画」を立ち上げることになり、弟の佐田繁理さんも事務所を手伝うようになりました。
現在も佐田繁理さんは「さだ企画」の社長として活躍しています。
まさかさだまさしさんの弟が、日本人で初めて海外でプロサッカー選手として活躍した方だったなんて驚きですよね。さらに、弟さんは兄を支える大切な存在として、事務所の社長としても活躍しているのです。
【さだまさしの妹は歌手の佐田玲子!】
次にさだまさしの妹を紹介します。
妹さんは、有名な歌手の『佐田 玲子』さん。
佐田玲子さんのプロフィールは、1957年5月7日生まれ。
日本の女性歌手、シンガーソングライター、そしてラジオパーソナリティです。
さだまさしと芸能プロモーターの佐田繁理の妹としても知られています。
彼女は活水高等学校を卒業しました。
1981年に長兄のさだまさしがプロデュースしたユニット「白鳥座」のメンバーとしてデビュー。
1984年にはアニメ「銀河漂流バイファム」のサントラ盤に参加し、白鳥座として活動しました。
その後、1989年に「くらやみ乙女」でソロデビューを果たし、現在まで活動を続けています。
2005年からは沢田聖子とのユニット「THE 4/9」(ザ・フォーク)を結成し、精力的に活動しています。
彼女は兄と同様に喋りも得意であり、TBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」でアシスタントを務めたり、自身がパーソナリティを務める番組に出演したりしています。
さらに、東海ラジオの「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」にも頻繁にゲスト出演していました。
彼女の兄であるさだまさしのヒット曲「雨やどり」「秋桜」「親父の一番長い日」は、玲子をイメージして作られた曲だと言われています。
これらの曲は結婚をテーマにしていますが、実際には玲子自身は未婚です。
また、玲子さんは現在はさだまさしの実家の喫茶店をきりもりしており、音楽活動は控えめにしているとか。
さだまさしとの兄弟仲はいいようで、名曲「関白宣言」は玲子さんに向けて書かれた歌との噂もあるくらいです。
【さだまさしの実家は長崎県で喫茶店「自由飛行館」を経営】
さだまさしさんが生まれ育った実家は、長崎県長崎市にある「自由飛行館」という喫茶店です。
この喫茶店はさだまさしさんの母親である佐田喜代子さんが経営していました。
喫茶店「自由飛行館」は長崎でも非常に有名であり、さだまさしさんの実家として広く知られています。
現在は、『自由飛行館・かすてら珈琲』に名前を変え、さだまさしさんの妹である佐田玲子(さだれいこ)さんが喫茶店の経営を引き継いでいます。
佐田玲子さんは、喫茶店経営の傍ら、自身も歌手として活動していました。
彼女は1981年にさだまさしさんがプロデュースしたユニット「白鳥座」のメンバーとしてデビューし、その後ソロデビューも果たしました。
さらに、さだまさしさんとのユニット「THE 4/9」(ザ・フォーク)を結成し、ラジオパーソナリティとしても活躍しました。
佐田玲子さんは結婚しておらず、現在も喫茶店を経営しています。
喫茶店「自由飛行館」は、美味しい料理が評判であり、多くの人々が訪れる人気の場所となっています。
さだまさしさんのご家族は、才能に溢れた方々であり、彼らが一体となって活動をしている様子は本当に素晴らしいものです。
さだまさしさんの音楽には、ご両親からの愛情や家族の絆が反映されていることを感じます。
【まとめ】
・さだまさしの実家は長崎県長崎市
・実家は「自由飛行館」という喫茶店を経営
・さだまさしの父親は佐田雅人で材木商を営んでいた⇒破綻
・さだまさしの母親は佐田喜代子で、喫茶店「自由飛行館」を経営
・さだまさしの弟は佐田繁理。もとプロサッカー選手で、現在はさだ企画の社長
・さだまさしの妹は歌手の佐田玲子