奥田民生が天才と呼ばれる理由は? すごいのは熱い性格と歌唱力!最高傑作も紹介‼

奥田民生は、1987年10月21日にバンド・ユニコーンのボーカル&ギターとしてアルバム「BOOM」でデビューしました。

その後、1989年4月29日にリリースされたファーストシングル「大迷惑」がヒットし、ユニコーンは一躍人気バンドとなりました。

ユニコーン解散後、奥田民生はソロ活動とPUFFYなどのプロデュース活動で大きな成功を収めました。

そんな奥田民生さんについて、彼がなぜ天才と呼ばれるのか、どんな性格を持っているのか、そして彼の最高傑作と海外からの評価についてご紹介します。

【奥田民生のプロフィール】

本名:奥田民生

生年月日:1965年(昭和40年)5月12日

身長:171cm

出身地:広島県広島市東区尾長

最終学歴:広島電子専門学校中退

所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ

【奥田民生は天才! ココが凄い!】

奥田民生さんは、バンドマンとしてだけでなく、ミュージシャンとしても高く評価されています。彼は自身の発言や音楽性、ルックスにおいても飾り気がなく、奇抜さを求めません。それなのになぜ彼は「天才」と呼ばれるのでしょうか。

・独自の歌詞センス

奥田民生さんの歌詞センスは多くの人々から称賛を受けています。

たとえば、後に「井上陽水奥田民生」としてユニットを組んだ井上陽水さんは、息子が聴いていたユニコーンの「雪が降る町」の歌詞に大いに感銘を受け、奥田さんに手紙として直筆で書かれた歌詞を送りました。

奥田さんは井上さんが自分の歌詞に興味を持ち、それを直筆で書いて送ってくれたことに驚きました。井上陽水さん自体も「天才」と呼ばれる人物ですが、天才であっても時には天才の行動が理解できないこともあるのですね。

奥田さんの歌詞は、彼自身や楽曲のメロディーと同様に、飾らないシンプルな言葉で作られています。彼の歌詞には、世間の空気感や生きる上での重要な概念などが、押し付けがましくなく自然に盛り込まれており、多くの人々が共感しています。

「奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール」という漫画や映画でも、奥田民生さんのように自然でありながら男らしさを持つ姿に憧れる男性が多く存在しているのも、そのためではないでしょうか。

・年を重ねるほどにシンプルになるメロディー

奥田民生さんのメロディーは、J-Popの中では非常にシンプルであり、逆に異端とも言えるほどです。

しかし、彼の作るメロディーが最初からシンプルだったわけではありません。

ユニコーンとしてデビューした当時は、「Sugar Boy」など、上下に激しい動きや難解なメロディーもありました。

しかし、ユニコーンが一度解散した後の後期から、奥田さんの曲はどんどんメロディーがシンプルな構造になっていきました。

奥田民生さんの楽曲の中でも、特に究極にシンプルな作りになっているのは、2000年1月19日に発売されたソロのシングル「マシマロ」ではないでしょうか。

「マシマロ」のメロディーはほぼ全編、「ドドドドドド」というドの連続で構成されています。

「マシマロ」は奥田さんのシングルの中でも非常に売れた作品であり、奥田さん自身も「マシマロ」の成功を受けて、「小賢しいメロディーはいらない」と述べています。

ただし、どんな人でも簡単に「ドの連続のメロディーが良い」とはなりません。ドの連続のメロディーにどのようなコードや歌詞を重ね、どのようにアレンジし、どのように歌うかによって、全く異なるものになります。

奥田民生さんは、シンプルなメロディーであっても、そのメロディーを素晴らしい名曲に仕上げる才能を持っているからこそ、「天才」と称されるのでしょう。

【クールに見えて、実は熱いハートの持ち主】

奥田民生さんの友人であり、一緒に「井上陽水・奥田民生」というユニットを組んで活動している井上陽水さんは、奥田さんを非常に寡黙な人物と評しています。

実際、テレビ出演などを見ても、彼はペラペラと多く話すタイプではないように見受けられます。

しかし、ある時、彼の友人であるウルフルズのトータス松本さんが音楽のモチベーションの低下からミュージシャンを辞めて俳優に転身しようと考えていることを漏らした際、奥田さんは非常に強い言葉を使って松本さんを引き止めました。

その場にいた井上陽水さんも、奥田さんが使用した強い言葉に驚き、トータスさんに謝罪するようアドバイスしました。
彼の普段の寡黙さからは想像もできないほどの熱い一面に、井上さん自身も驚いたといいます。

若い頃の奥田さんは、少しミーハーな一面もあり、故郷の広島で音楽番組「ザ・ベストテン」の中継が行われた際は、ほぼ毎回観に行っていたそうです。

また、昔から小泉今日子さんの大ファンであり、「HEY! HEY! HEY!」で共演した際には、緊張のあまりまともに小泉さんを見ることができませんでした。

そんな小泉さんに提供した楽曲「月ひとしずく」も、ミーハーな一面があった奥田さんにとっては大きな喜びだったのではないでしょうか。

【奥田民生の最高傑作は?】

「野ばら」

奥田民生さんの最高傑作としてよく名前が挙がる曲は「野ばら」ではないでしょうか。

「野ばら」はシングルとしてリリースされていないものの、1997年7月1日に発売されたアルバム「FAILBOX」に収録されています。

この曲は、遠く離れた場所に暮らす大切な人を想う内容であり、奥田さんらしいシンプルなメロディーと歌詞で構成されており、多くの人々の心に深く響く名曲となっています。

「イージュ☆ライダー

その他、ソロでの有名な曲として「イージュ☆ライダー」があげられると思います。

ユニコーン時代から一貫して社会の閉塞感や自由を求める気持ちを曲にしてきた奥田民生さん。
この「イージュ☆ライダー」はまさに彼の自由への渇望を表現した傑作だと思います。

「すばらしい日々」

その他、「すばらしい日々」も不朽の名作です。

発表から40年近く経った今でも全く古さを感じさせないメロディーに歌詞。
この曲からも奥田民生の才能を見て取れると思います。

【奥田民生の海外での活動、評価は?】

これまで日本国内では高い評価を得てきた奥田民生さんですが、海外での活動や評価についてはあまり聞くことはありません。

これまでも奥田さんが海外でコンサートを行ったという話はほとんど聞きませんし、本人は日本国内での活動にしか興味がないのかもしれません。

また、奥田さんの魅力はその独特な雰囲気にありますが、これが海外の人々にウケるかは疑問です。

奥田民生さんは2023年に58歳となりましたが、コロナも落ち着いた今、今後もソロとして、そしてユニコーンのメンバーとして、ますますの活躍が期待されます。