2022年、山田邦子さんはM-1グランプリの決勝戦の審査員を務め、他の審査員よりも低い点数をつけたことで話題になりました。
彼女は80年代から90年代にかけて好感度No.1タレントの座を維持し続け、数々の冠番組を持ち、超売れっ子芸人として活躍しました。
当時、女性芸人がゴールデンタイムに冠番組を持つことはほとんど例がなく、彼女は芸能界で天下をとり頂点に君臨し続けていました。。
そんな山田邦子さんが若い頃に得た年収や借金、全盛期の伝説について解説します。
もくじ
【山田邦子のプロフィール】
愛称:邦ちゃん
本名:後藤邦子
生年月日:1960年(昭和35年)6月13日
身長:168cm
出身地:東京都荒川区
最終学歴:川村短期大学家政科卒業
所属事務所:アスリート・マーケティング
【山田邦子、若い頃の年収は驚異の10億越え‼】
2014年10月27日に放送された「私の何がいけないの?」で、山田邦子さんが若い頃の収入を公表しました。
当時、彼女は80年代から90年代に活躍し、月収で約1億円も稼いでいたと言います。
さらに、給料は現金で手渡しされることが一般的で、1億円を大きな袋に入れて渡されていたそうです。
この月収1億円からすると、年収は約12億円にもなります。
バブル期でスポンサーなどのサポートもあったため、このような高収入が実現したのでしょう。
ただし、山田邦子さんは自身の収入だけではなく、ビートたけしさんや明石家さんまさんはそれ以上の収入を得ていたとも語っています。
山田邦子さんはCMやドラマ、映画などにも多数出演し、その人気は絶頂期でした。
ただし、月収1億円を得るためには常に多忙であり、休む暇もないほどのスケジュールをこなしていました。
睡眠不足で倒れる寸前に収録を終え、次の現場に向かう生活が続いていました。
マネージャーからは「現場に行かないとギャラが出ないから、倒れるなら次の現場で倒れてくれ」と言われるほどの過酷な状況でした。
【伝説の「ひょうきん族」時代のエピソード】
山田邦子さんは以前、TBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に出演し、伝説的お笑い番組「オレたちひょうきん族」に出演することになったきっかけを明かしています。
彼女は若いころから多くの素人参加バラエティー番組に出演していましたが、落語家になるために早稲田大学の寄席演芸研究会に入部しました。
1981年の秋、ビートたけしや明石家さんま、片岡鶴太郎など、当時のお笑いビッグスターたちが出演する「ひょうきん族」がスタートしました。
山田は当時、まだ素人同然の21歳でしたが、驚くべきことにゴールデン帯の番組に抜擢されました。
MCの中居正広が「どういう流れで『ひょうきん族』に出るんですか?」と不思議そうに聞くと、山田は当時のフジテレビの名物プロデューサー横澤彪さんの名前を挙げました。
「横澤さんというプロデューサーが『ひょうきん族』にいて。(スタジオ)アルタに買い物に行っていて…『笑ってる場合ですよ!』とかやっているなと思って行ったら、“ああ、素人の時、出てた子だよね?フジテレビにちょっと来ない?”ってことで」と説明しました。
山田は横澤さんに言われるままにフジテレビに連れて行かれ、ステーキをごちそうになりながら出演を持ちかけられたそうです。
「“秋から10月に『ひょうきん族』という番組がレギュラー化するんだけど、それ出ない?”って」と明かしました。
この話にはスタジオからツッコミが相次ぎました。
中居は「いやいやいや、それが早いですよ!」と信じられない様子でしたし、井森美幸も「そんなにすぐに決まっちゃうものですか?」と不思議そうに聞きました。
山田が「みんな、コメントで忘れてることがある。かわいかったからじゃない?」とつぶやくと、土田晃之が「番組冒頭から、若いころのVTRを見て、かわいいって言ってるの、邦子さんだけなんですよ。ほか、誰もその言葉を発してない」といじりました。
【超売れっ子だった全盛期の伝説】
山田邦子さんは1980年代から芸能活動を始め、漫才ブームやお笑いブームに乗って大人気になりました。
週に14本ものレギュラー番組を抱え、CMやドラマ、映画の主演作品にも出演し、一人で天下を取った存在として知られています。
特に1989年から1992年まで放送された「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」は、バラエティ番組に出演しない人々までがレギュラー出演し、大人から子供まで幅広い層に支持されました。
この番組をきっかけに、KANさんの「愛は勝つ」やWinkのパロディグループ「やまだかつてないWink」なども誕生し、日本武道館での収録など、異例の成功を収めました。
山田邦子さんは1988年から8年連続で「好きなタレント調査」の1位を獲得し、その人気は絶大でした。
しかし、1995年に妻子持ちの男性との不倫報道があり、好感度は急落しました。
さらに、番組スタッフとの意見の食い違いもあり、テレビ出演が減少したと言われています。
【22億円の借金 ⇒ 現在の資産が凄い!】
山田邦子さんは全盛期に22億円の借金を抱えていたと言われています。
これは、税金対策のためにご家族が不動産会社を始めたことが原因だったそうです。
山田邦子さんは収入をすぐに投資に回してしまい、いつも「お金がない」と言われる日々を過ごしていました。
しかし、会社を閉じる決断をし、2年間で22億円の借金を返済したと言います。
このような返済能力は、当時の彼女の高収入を物語っています。
資産については具体的な金額はわかりませんが、彼女は相当の資産を持っていると言われています。
自宅は四谷にあり、その価値は8億円とも言われています。
2000年以降はのんびりと活動している山田邦子さんですが、全盛期には一生分の収入を稼いでいたことでしょう。
【まとめ】
以上の様に山田邦子さんは時代の流れに乗っただけでなく、その人間性やキャラクターが老若男女に受け入れられ、昭和・平成に一時代を築いた芸能界の女帝でした。
その後、多額の借金、離婚やガンを患うなどあまたの苦難を乗り越え、現在も芸能界で活躍しています!
彼女がこれからどんな活躍していくか、楽しみにしましょう!