吉川晃司は紅白でギターを燃やし出禁!? 歌唱力やバク転の裏話とは?歴代のサポートメンバーも豪華‼

吉川晃司さんは1984年にシングル「モニカ」で歌手デビューすると、それまでにいなかったタイプのアイドルとしてすぐに大人気になりました。

布袋寅泰さんとのユニット・COMPLEXの活動や俳優活動を経て、徐々に本格派のアーティスト・俳優へと成長を遂げました。

若い頃から破天荒だった吉川晃司さんは、色々な伝説も残しています。

そんな吉川晃司さんの歴代サポートメンバーや、ライブで恒例だったパフォーマンス、そして紅白歌合戦での破天荒な行動などについて、お伝えします。

【吉川晃司のプロフィール】

本名:吉川晃司

生年月日:1965年(昭和40年)8月18日

身長:182cm

出身地:広島県安芸郡府中町

最終学歴:修道高等学校中退

所属事務所:株式会社アクセルミュージックエンターテイメント

【吉川晃司の豪華すぎるサポートメンバー】

ソロ歌手として名高い吉川晃司氏がステージに立つたびに、彼の側には常に一流のサポートメンバーがついています。
彼のライブパフォーマンスが成功を収める一因となるのは、吉川晃司氏自身の力量だけでなく、そうしたサポートメンバーの存在によるものです。
吉川氏のサポートメンバーに対するこだわりを通じて、彼がどのように音楽を捉えているかが伺えます。

・PaPa

吉川晃司氏がソロデビューを果たした初期の頃、彼がテレビ番組に出演したりライブを行ったりするときには、必ずと言っていいほどPaPaというバンドが共演していました。
彼らPaPaは、その前に山下久美子氏やアン・ルイス氏などのバックバンドを務めてきたメンバーで構成されていたのです。

吉川氏の信条である「ミュージシャンはテレビに出演することで自己の向上が見込める」という考えは、彼が自身の表現を求めて常に挑戦を続ける姿勢を象徴しています。PaPaは「見える場所」、つまりテレビやライブの舞台での共演を主としていたが、スタジオレコーディングに関しては、別のスタジオミュージシャンが担当していたとのことです。

また、1998年のツアー「ZERO 〜HI-VISION LIVE WORLD ’88」までは、PaPaが吉川氏のライブでのサポートメンバーを務めていました。それ以降、吉川氏の歴代サポートメンバーを見ると、その一員一員が非常に豪華で、個々に人気があるほどの顔ぶれです。

・菊地英昭 (THE YELLOW MONKEY)

そのなかでも、吉川晃司氏のライブの一員として特に目立つ存在となったのは、THE YELLOW MONKEYのギタリストである菊地英昭氏です。菊地氏は、2017年の吉川氏のツアーから参加し始めました。そのきっかけは、菊地氏の実弟であり、同じくTHE YELLOW MONKEYのドラマーである菊池英二氏が関与しています。

菊池英二氏はドラマーとして吉川氏の前のツアーに参加していました。その際、ライブの楽屋を訪れたときに、吉川晃司氏から直接、ツアーでギターを演奏してほしいと頼まれたのだそうです。

LUNA SEAのINORAN氏もまた、2022年のツアーから、菊地英昭氏と共にギターを担当することになりました。THE YELLOW MONKEYとLUNA SEAのギタリストが同じステージで共演する機会は、他の場では滅多に見ることができません。

・アベフトシ(MICHELLE GUN ELEPHANT)

さらに、2008年のライブでは、元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのアベフトシ氏がギタリストとして参加しました。しかし、彼はその後2009年に急性硬膜外血腫により、42歳という若さで亡くなりました。そのため、吉川晃司氏のライブが、彼の生涯最後のライブ出演となりました。

・ウエノコウジ(MICHELLE GUN ELEPHANT)

2016年のツアー以降では、元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのウエノコウジ氏がベースを担当し、ドラムは元DEAD ENDの湊雅史氏が担当しています。キーボードにはホッピー神山氏が参加していました。その他、工藤静香氏やとんねるずなどの作曲家としても知られる後藤次利氏がベースを担当したツアーもありました。

・小林武史、綾小路翔

2014年の誕生日公演では、スペシャルゲストとして音楽プロデューサーの小林武史氏がキーボードを引き、氣志團の綾小路翔氏がコーラスを務めていました。

毎回のツアーにこんなにも優れたミュージシャンが集まるのは、吉川晃司氏の長い音楽キャリアがあるからこそでしょう。

【シンバルキックとバク転。吉川晃司ライブパフォーマンス秘話】

・シンバルキック

吉川晃司さんのライブパフォーマンスは圧倒的です。
その中でも代表的なパフォーマンスは、なんと言っても「シンバルキック」です。
これは、彼が曲の終盤に、頭上高く設置されたシンバルを勢いよくキックする、その名の通りの見せ場です。

この「シンバルキック」は吉川さんのトレードマークとも言えるパフォーマンスで、彼が左足を骨折した2015年にも例外ではありませんでした。
その時彼は杖を必要とするほどの重傷でありながら、ショーの最後には杖を捨てて痛みに耐え、シンバルキックを見せてくれました。

痛み止めを打ったとはいえ、観客への応えるために彼が示したこの姿勢は、まさにロックスターの精神力そのものと言えるでしょう。

・封印されたバク転

一方、バク転は吉川さんのパフォーマンスとして定番であったものの、1994年にヘルニアを患ったことで封印されました。
バク転を頻繁に披露していた頃には、何度となく手首や腕を骨折するアクシデントに見舞われていました。

【紅白歌合戦での驚きのパフォーマンスと出禁】

吉川晃司さんは1985年の「第36回NHK紅白歌合戦」で初出場を果たしました。
その際には白組にも関わらず赤いジャケットを身にまとい、彼のギター燃やすパフォーマンスは大きな話題を巻き起こしました。

彼は自分の曲が終わった後もステージ上から退かず、次の歌手である河合奈保子さんのイントロが流れ始めると、ステージの中央でギターに火をつけました。

後のインタビューで彼は、「日本の芸能界に対して抗議の意味を込めて行った行動だった。ただ、それが稚拙だった」と述べています。

その結果として、吉川さんはその後紅白歌合戦には再出場していません。
その上、一部ではNHKから十年以上出入り禁止となったとも言われています。

しかし、2000年以降にはNHKの音楽番組への出演や、2009年の大河ドラマ「天地人」での織田信長役を演じるなど、現在(2023年)には過去の問題は解消されているようです。

【独自の歌唱力とその進化】

デビュー当初、吉川晃司さんはアイドルとしての評価が先行していましたが、彼の真のスキルはロックボーカリストとしての力量にありました。当時の彼にはボーカリストとしての高度な技術力はまだ身についていませんでしたが、日本語をロックという音楽スタイルに合わせて歌うセンスは既に抜群でした。

そのセンスは年齢を重ねた今でも維持されており、さらにボーカリストとしての技術力も身につけ、日本のロックシーンにおいて圧倒的な歌唱力を持つ歌手となりました。

今年で58歳になった吉川晃司さんですが、これからも彼のロックが私たちに魅力的な音楽を提供し続けることを期待しています。