浜田省吾は現在何してる?メディア出演はほぼなし…素顔を隠し続ける理由とは?

「浜省」(ハマショー)という愛称で親しまれている日本を代表するシンガーソングライターの浜田省吾さん。

多くの名曲を生みながら、あまりメディアに出演せず、素顔もトレードマークのサングラスで隠して活動していることでも知られています。

今回は、ハマショーを知らない世代にも分かる浜田省吾さんの成功までの軌跡、トレードマークのサングラスの謎、メディアに出演しない理由、現在の活動などについてまとめました。

現在は何してる?浜田省吾プロフィール

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生年月日 1952年12月29日(69歳)

出身地  広島県竹原市

学歴   広島県立呉三津田高等学校卒業

神奈川大学法学部中退

職業   ミュージシャンシンガーソングライター作詞家作曲家ドラマー

活動期間 1974年 –

事務所  ホリプロ(1975年 – 1983年)

ロード&スカイ(1983年 – )

【浜田省吾 現在までの軌跡】元はドラマーだった!

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浜田省吾さんは大学進学のため1972年に上京するも、音楽活動にのめり込み1年で中退。

故郷の広島に戻り、音楽仲間とロックバンド「愛奴(アイド)」を結成します。

仲間内で話し合いパート決めを行う際、ドラムとキーボードだけ余っている状態で、最終的にジャンケンをして浜田省吾さんはドラム担当になったのだそう。

ドラムは全くの未経験だったそうですが、練習に打ち込み1974年に再度上京。

たまたま同じスタジオにいた人気ミュージシャンの吉田拓郎さんに声を掛けられ、吉田拓郎さんの全国ツアーのバックバンドに参加したことからプロへの道が開かれました。

上京の翌年である1975年には、「愛奴」としてCDデビューを果たしますが、レーベルの猛プッシュの甲斐もなく全く売れずに惨敗。

どうやら当初からメンバーの音楽志向はそれぞれバラバラで、バンドには統一したスタイルが確立できていなかったのだそう。

そんな中でしたが、浜田省吾さんは多くの楽曲を手掛け、ソングライティングの技術と自身を身に付ける音楽人生でも大事な時期となったよう。

その後「愛奴」を脱退し、ソロへ移行しました。

【浜田省吾 現在までの軌跡】シンガーソングライターとしてソロ活動開始

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「愛奴」脱退から1年後の1976年4月にシングル「路地裏の少年」で浜田省吾さんはソロデビューを果たします。

現在まで続く浜田省吾さんのトレードマークであるサングラスはこの頃からつけ始めたといいます。

精力的にライブを行ないアルバムを発表するも最初の頃は残念ながら人気はいまひとつだったようで、自身のレコードの売上よりも他の歌手への楽曲提供で生計を立てていたといいます。「山口百恵」さんや「和田アキ子」さん、「甲斐よしひろ」さん、「松田優作」さんなどといった大物スターへの楽曲提供をしています。

その後、シングル「風を感じて」が「日清カップヌードル」のCMソングに起用され、オリコン最高位25位となる売上10万枚のヒットに。翌年には武道館コンサートを実施します。

当時の人気ぶりからは武道館は無謀な挑戦と言われていましたが、蓋を開けてみると即完売。大成功を収めました。

【浜田省吾 現在までの軌跡】売上170万枚の大ヒット!しかしメディアには出ず、ライブ中心の活動

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1992年テレビドラマ『愛という名のもとに』の主題歌として起用されたシングル「悲しみは雪のように」が当時のトレンディドラマブームにも乗り、累計売上170万枚のビッグセールスに。世間は空前のハマショーブームとなります。

しかし、浜田省吾さん自身はプロモーションには一切関知していませんでした。

実はこの頃、鬱状態になっていたんだそう。

翌年には精神的にダウンしていた状態から立ち直り、続々とアルバムを発表。

売上の印税などの収入を全てエイズの治療・研究に寄付したり、阪神淡路大震災の復興のための楽曲を作成、チャリティーへの活動も精力的に行っています。

ヒット曲が出たことで、自分のやりたいことや、音楽の方向性が定まったのかもしれません。

本格的にこの頃からライブを活動の中心に置き、数多くのツアーや大規模野外コンサートを成功させ、1998年からは4年がかりで世紀をまたぐ全196公演・延べ動員数約60万人という他に類を見ないロングツアーを敢行するなど、現在に至るまで常に変わらないスタンスで活動を続けています。

デビューから現在まで続く浜田省吾のトレードマーク サングラスの理由

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浜田省吾さんのトレードマークと言えば、デビュー当時から人前で外したことがないというサングラス。

浜田省吾さんがサングラスをかけ始めた理由はいくつかあるようですが、最初のきっかけとなったのは吉田拓郎さんの影響なんだとか。

浜田省吾さんが吉田拓郎さんのバックバンドとして活動していた頃、浜田省吾さんから見る吉田拓郎さんはとても大人びて見えたといい、自分が子供っぽいことが気になったことが理由でサングラスで顔を隠し始めたそうです。

また、浜田省吾さんが影響を受けたアーティスト、ボブ・ディランやジョン・レノンらもサングラスをかけていたこと、単純に素顔を覚えられるのが嫌だった、ともインタビューで答えています。

メディア出演をしないのに現在も売れ続ける浜田省吾 なぜ?

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1980年代半ば頃からコンサート・チケットがプラチナ化しており、毎回発売と同時に完売するほどの人気を誇っている浜田省吾さん。ほとんどメディアに露出せず、レコード制作とライブ活動だけで人気を維持し続けているアーティストは非常に稀有な存在といえます。

CMタイアップ曲「風を感じて」がヒットした時にはスポンサーの関係もあり、音楽番組『夜のヒットスタジオ』などに出演したこともあったそうですが、待ち時間の長さや収録現場の空気感が合わず、その時の経験から“ここは自分の居場所”じゃないとトラウマに感じてテレビ番組には出なくなったそう。

浜田省吾さんの“メディアに出ない”という頑固さや、渋さ、歌のロマンチックさ、一方でチャリティーライブを多く開催し多額の寄付を行うなど利益第一主義な考え方をしていないカッコよさが、他のアーティストとは一線を画しており、浜田省吾さんの独特な“味”としてファンを魅了しているといいます。

現在もコンサートチケットはプレミア!浜田省吾に対する世間の声

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TikTokなどの動画投稿でのBGMとしても浜田省吾さんの楽曲が人気なことや、令和の歌姫・あいみょんさんが浜田省吾を影響されたアーティストだと公言していることで、若者からの関心も高いようです。

現在も売れっ子だった!浜田省吾 まとめ

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メディアに出ないことで有名な浜田省吾さん。

それでも現在もコンサートチケットは即完売という人気ぶり。

ハマショーファンの皆さんが口を揃えて言うのは「ライブの魅力」。

大ヒット曲としてはドラマ主題歌として使われた「悲しみは雪のように」の1曲だといいますが、現在もアルバムが発売される度に売り上げ1位を獲得しています。浜田省吾さんがライブでファンが楽しんでいる証拠といえそうです。

2022年現在も、ツアーを始めて40周年の記念すべき年として9月から2023年にかけて全国ツアーを回る予定となっています。

「アルバムを売るためにライブをするのではなく、ライブがしたいからアルバムを作る」と言っている浜田省吾さん。

シンガーソングライターとして最高にかっこいいです!