「OK!バブリー」や「おったまげー」などのキャッチフレーズで一世を風靡した平野ノラさん。彼女のデビューは32歳という、芸人としては遅咲きでした。しかし、そのキャラクターはバブル絶頂期を象徴するもので、その頃彼女はまだ小学生だったのです。今回は、そんな平野ノラさんの家族背景、沖縄出身の母親、バブリーな父親、そして葛飾区から我孫子への移住について詳しく探っていきます。
平野ノラのプロフィール
- 本名:平野 千秋
- 生年月日:1978年(昭和53年)10月20日
- 出身地:東京都葛飾区
- 血液型:AB型
- 身長:162cm
- 最終学歴:修徳高等学校
- 出身:ワタナベコメディスクール13期
- 所属事務所:ワタナベエンターテインメント
- 活動時期:2011年10月 –
- 配偶者:既婚
平野ノラの実家と家族構成は?
平野ノラさんの家族構成を調査したところ、父親の秋義さん、母親の澄子さん、そして1つ年上の兄との4人家族であることが判明しました。
母親の澄子さんは、過去にノラさんと一緒にテレビに出演したことがあり、その際に1957年生まれであることが明らかになりました。
したがって、2023年には66歳になります。
一方、兄については一般人であるため、名前や職業、写真などの詳細は公表されていません。
しかし、ノラさんが「1つ年上」と述べていることから、1977年生まれであることがわかります。それが事実であれば、2023年には46歳になることになります。
平野ノラの母親:沖縄出身で彫りが深い
ノラさんの母親、澄子さんは17歳の時に秋義さんと出会い、19歳で結婚しました。
その翌年に長男を、そして21歳で長女のノラさんを立て続けに出産しました。
ノラさんが31歳で芸人になることを相談した際には、「あなたがやりたいことをやればいいと思うよ」と、ノラさんを全力で支えました。
さらに、ノラさんのトレードマークとも言える真っ赤なバブリースーツは、すべて母親の澄子さんの手作りです。
ノラさんが母親のバブル時代のボディコンを借りて、それに誇張した肩パッドを入れて衣装として着用していたところ、澄子さんがそれを見かねて、同じシルエットの衣装を手作りしたのがきっかけだったそうです。
また、澄子さんは沖縄出身で、ノラさんの彫りの深さは、母親譲りのようです。
平野ノラの父親:バブリーな性格
平野ノラさんの父親、秋義さんは、バブル時代には不動産業を手広くやっていて、土地の転売などでかなり荒稼ぎしていたそうです。
ノラさんがトム・クルーズ主演映画「バリー・シール」の「ぶっ飛び宣伝隊長」を務めた際には、父親が不動産業でバブルの恩恵を受けていて、1回の“飲み”に100万円使ったなどの“ぶっ飛び”エピソードを披露しています。
また、ノラさんが子供の頃、父親の帳簿を覗き見した際、土地売買のものであろう億単位の金額が並んでいるのを見て、子供ながらに「すごいなぁ」と関心していたそうです。
ノラさんのバブリーな芸風は、当時の父親に影響を受けていると見て間違いなさそうです。
平野ノラの出身地と実家の場所
平野ノラさんの公式プロフィールによると、出身地は「東京都葛飾区」と記載されています。
実際、出身小学校、中学校ともに、東京都葛飾区にある学校を卒業されています。年代的に見ると、小学生時代にバブル絶頂期を迎え、そのバブルが崩壊した1991年に中学に入学したことになります。
一方、平野ノラさんの実家について調べてみたところ、2023年現在、千葉県我孫子市にあることがわかりました。
つまり、どこかのタイミングで、実家が出身地である東京都葛飾区から千葉県我孫子市に引っ越したことになるのですが……その具体的な時期については、わかりませんでした。
恐らくですが、父親の不動産事業がバブルの崩壊により経営破綻し、それを機に2023年現在暮らしてる千葉県我孫子市に移転したのではないでしょうか。
ちなみに、先ほどご紹介した映画「バリー・シール」のPR動画の中で、ノラさんは父親について「今は土地転がしから転身して、実家でたこ焼きを転がしてます」みたいな感じで、父親の失敗もギャグにしていたりします。
ただ、この点についてよくよく調べてみたところ、実際に我孫子市の実家でたこ焼き屋を営んでいるのは、父親ではなく母親の澄子さんみたいなんですよね。