お笑い芸人の河邑ミクさんに迫ります!2018年と2019年の「Rー1ぐらんぷり」ファイナリストで知られる彼女の学歴やエピソードを紐解きます。
もくじ
■河邑ミクのプロフィール
まずは彼女のプロフィールをおさらいしましょう。河邑ミクさんは本名の河邑美空さんとして1994年8月8日に大阪府で生まれました。身長はモデルのような168cmで、松竹芸能タレントスクール出身の彼女は松竹芸能所属のお笑い芸人です。
美しい空に由来して「美空」という字を使った芸名に改名し、その容姿とスタイルに多くの人々が魅了されています。
彼女の幼少期はお父さんの浪費癖のために貧しい生活を送りましたが、それが当たり前だったために貧乏だとは感じていませんでした。しかし、15歳頃から他の家庭との差に気づき始め、人生の厳しさを実感するようになりました。
高校卒業後、2013年4月に松竹芸能の養成所に入所し、その後は「8分音符」というコンビを組んで活動していましたが、相方との解散後はピン芸人として活動を続けています。
■大阪府立北かわち皐が丘高等学校に通っていた?
さて、彼女の高校時代の学歴について調査しました。ごっきんさんとのトークイベントで明らかになったところによれば、彼女は大阪府立北かわち皐が丘高等学校に通っていました。
この学校は、大阪府立東寝屋川高等学校と大阪府立四條畷北高等学校が統合されて2008年に開校した公立の全日制男女共学の高校です。偏差値は45で、河邑ミクさんと同じくらいのレベルの学校と言えます。
この高校には、他にも有名人が卒業しており、俳優の原西孝幸さんや藤本敏史さん、お笑
いタレントのぐっさん(山口智充)さんなどがいます。
■【河邑ミクの学歴】大学へは進学していない
河邑ミクさんの大学進学についても調査しましたが、彼女は大学には進学していません。高校卒業後、芸人になることを決め、松竹芸能タレントスクールに入所しました。彼女が大学進学を断念した理由は、当時の相方が恋愛をしたいと言ったためでした。
彼女は真剣に芸人としての道を歩むことを選び、養成所での厳しいトレーニングを受けました。松竹芸能養成所ではネタ見せやバラエティ基礎、演技などの科目があり、実力を鍛えるための合宿や講演会も行われていました。
養成所卒業後は、ピン芸人としての活動を本格化させ、関西ローカルの情報番組や朝の連続テレビ小説に出演し、知名度を上げていきました。
彼女の軌跡はまだまだ続きます。今後も彼女の活躍に注目です!
【河邑ミクの学生時代】驚きのエピソード4選
お笑い芸人の河邑ミクさんの学生時代には、驚くようなエピソードがいくつかあります。ここでは彼女の小学生時代から社会人になるまでの貴重なエピソードを紹介します。
■小学生時代のエピソード
小学生の頃、河邑ミクさんは「吉本新喜劇」や「ダウンタウン」などのお笑い番組を見て育ちました。特に「M-1グランプリ」で活躍する「南海キャンディーズ」のファンになり、お笑い芸人になる夢を抱くようになりました。当時の彼女は自分自身を「ネアカ(ネクラ)」と表現していました。
■中学生時代のエピソード
中学生になると、河邑さんは静かな方がモテると思い始めました。しかし、漫才をしていたためあまりモテず、文化祭や修学旅行での漫才披露が彼女の自信となりました。中学時代の先生たちは彼女の夢を応援し、お笑い芸人になる道への一歩を後押ししてくれました。
■高校生時代のエピソード
高校生の頃、河邑さんは彼氏から誕生日プレゼントとして指輪をもらいました。彼女は感謝の気持ちを込めて彼のために何か素敵なプレゼントをしたいと考え、お米10キロを彼の部屋に持っていきました。しかし、彼氏は予想外のプレゼントに驚き、ちょっと引いてしまったそうです。
また、高校生時代はアルバイトを3つ掛け持ちしていました。モヤシ炒めだらけの食事に飽きた彼女は、お給料の半分を家計に入れて節約生活を送っていました。その頑張りが後の芸人としての活動にもつながっていったのです。
■社会人になってからのエピソード
社会人になった河邑さんは、お笑いの世界で成功を収める一方で、父親とのお金にまつわるエピソードもありました。成人式の時に財布を買ってもらうと言われていたのに、3年経っても財布をもらえなかったそうです。また、テレビ出演時には服装に注意されることもあり、父親から賞金をちょっとだけもらおうと言われたこともありました。
まとめ
河邑ミクさんの学生時代には苦労や喜びがたくさんありました。彼女の頑張りと努力が芸人としての成功に繋がっていることが伝わってきます。今後も彼女の活躍に期待が高まります。以上が、河邑ミクさんの学生時代の驚きのエピソード4選でした。