北大路欣也さんは、ドラマや映画、そしてバラエティ番組での活躍により、多くの人々から愛されています。
その素朴で飾らない姿勢は、大御所とは思えないほどです。
今回は、そんな北大路さんの家族について深く掘り下げてみましょう。また、彼の学歴についても詳しく見ていきます。
もくじ
北大路欣也のプロフィール
- 生年月日:1943年2月23日
- 出身地:京都府京都市
- 血液型:A型
- 身長:174cm
- 最終学歴:早稲田大学第二文学部演劇専修
北大路欣也の幼少期と父・市川右太衛門との関係
・北大路欣也の幼少期
北大路欣也さんは、長い間時代劇を中心に活躍し、大河ドラマでも常連だったことで知られています。
そのため、35年ぶりに現代劇で主演を務めた「三匹のおっさん」は大きな話題となりました。間違いなく、彼は日本を代表する大御所俳優です。
実は、北王路さんは幼少期から俳優としてのキャリアをスタートしていました。
小学6年生の頃、1956年の映画「父子鷹」でデビューし、15歳の頃には映画「少年三国志」で主演を務めるなど、子役として大活躍しました。
芸能界には「子役は大成しない」というジンクスがありますが、北大路さんにはそのジンクスは全く関係ないようです。
彼は子役の頃からスターダムへの道を歩んできました。
・父・市川右太衛門との関係
その華々しい活躍の一因として、父親の存在が挙げられます。
彼の父親は、戦前・戦後に活躍した時代劇スターの市川右太衛門さんでした。
市川右太衛門さんは元々歌舞伎役者で、本名は浅井善之助さんといいます。
彼は幼少期に両親の勧めで日本舞踊を習い、6歳で「菅原伝授習艦」の菅秀才役で舞台デビューを果たしました。
その後、上方歌舞伎の人気役者である2代目市川右團次に弟子入りし、「市川右一」という名前を授かりました。
しかし、歌舞伎の出身ではないため出世に限界を感じ、映画の世界へ進みました。
映画でもすぐに大人気となり、阪東妻三郎さんや嵐寛寿郎さんなどと共に「時代劇六大スタア」と呼ばれるようになりました。
また、右太衛門さんは時代劇スターでありながら東映の役員も兼務していました。
そのため、北大路欣也さんは「東映城のプリンス」として大々的に売り出されました。
実は、彼のデビュー作「父子鷹」で主演を務めていたのは右太衛門さんでした。父が主演を務める映画でデビューするということは、話題にならないわけがありません。
しかし、現在の北大路さんを見て、「市川右太衛門の息子」と呼ぶ人はいません。
これは、彼が自身の地位を実力で築いた証拠と言えるでしょう。
北大路欣也の兄弟関係は不和?
北大路欣也さんは、兄と姉がいますが、芸能界に進んだのは彼だけです。
兄は早稲田大学の理工学部に進学し、その後の詳細な情報はありませんが、大企業で活躍していると思われます。
一方、姉については現在の状況や出身大学は不明ですが、美しい容姿を持っていることは間違いありません。
しかし、北大路家の兄弟関係が「不仲」との噂もあります。
その原因は、父・市川右太衛門さんの遺産を巡る争いだと言われています。
しかし、これはあくまで噂であり、真偽のほどは定かではありません。
北大路欣也の家系図について
北大路欣也さんの家系図は、彼の父・市川右太衛門さんから始まります。
右太衛門さんは、歌舞伎役者から映画俳優へと転身し、大成功を収めました。
その後、北大路さんが出生し、彼もまた父の足跡を追い、俳優として成功を収めました。
北大路さんには兄と姉がおり、彼らもまたそれぞれの道を歩んでいます。
しかし、彼らの詳細な情報は公にはなっていません。
北大路欣也は早稲田大学卒業
北大路欣也さんは、早稲田大学第二文学部演劇専修を卒業しています。
これは、彼が子役として活動しながらも、学業を怠らなかったことを示しています。
また、早稲田大学は日本でもトップクラスの大学であり、その中でも演劇専修は非常に競争率が高いとされています。
そのため、彼の学力も相当なものであったと言えるでしょう。
北大路欣也は剣道が得意?
北大路欣也さんは、剣道にも優れていました。
彼は、剣道で3段のの腕前です。
これは、彼が時代劇で見せるリアルなアクションの一因とも言えます。
また、剣道の経験は彼の人間性にも影響を与えていると言えるでしょう。
以上、北大路欣也さんの家族や学歴、剣道の経験について詳しく見てきました。
彼の素晴らしいキャリアと人間性は、彼がこれまでに歩んできた道のりと深く結びついています。