糸井重里、驚愕の家族関係!娘の成長を見守りながら実らせた11年の不倫愛

“コピーライター”と言えば誰?と聞かれたら、多くの人が「糸井重里」の名前を思い浮かべるのではないでしょうか。

糸井重里さんは、80年代に沸き起こったコピーライター・ブームの火付け役となった人物。

コピーライターとして広告や作詞家、ゲームのシナリオライター、タレントなど多岐にわたる分野で大活躍、日本で有数の高収益メディア「ほぼ日刊イトイ新聞」の主宰者でもあります。

「ほぼ日刊イトイ新聞」はその名前の通り、毎日更新される糸井重里さん自身が執筆したエッセイが評判で、「ほぼ日手帳」をはじめとした物販にも力を入れており、個人のウェブサイトとして日本最大規模を誇っています。

2014年には年間売上高が30億に達し、2017年には「株式会社ほぼ日」としてJASDAQに上場も果たしたことでも話題となりました。

ビジネスで大成功を果たしている糸井重里さん。

プライベートはというと、ソフトバンクのCM「白戸家」のお母さん役でもおなじみの女優・樋口可南子さんとご結婚されているそう!

仕事でもプライベートでも順風満帆な人生かと思いきや、なんと、令和の時代では考えられない不倫生活を送っていたようです。

今回は、糸井重里さんについて、11年にも及んだという不倫生活、娘との関係について調べてみました。

 

娘が居ながらも11年不倫?糸井重里プロフィール

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生年月日  1948年11月10日(73歳)

出身地   群馬県前橋市

職業    コピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家

最終学歴  群馬県立前橋高等学校

配偶者   樋口可南子

幼少期は漫画が好きで、漫画家に憧れていたという糸井重里さん。

高校時代には、文学青年の友人の影響でアングラ文学に目覚め、文化祭の企画で江戸川乱歩の『赤い部屋』(内装が赤で統一されている部屋に猟奇クラブのメンバーが集まるところから始まる短編探偵小説)を再現したり、1963年に起こったベトナムの僧侶による衆生救済のための焼身自殺を真似たりと、だいぶハチャメチャな青年期を送ってきたようです。

法政大学文学部日本文学科に入学後も、在学中に学生運動に身を投じ逮捕されること5回。その後中退しています。

コピーライターになった経緯は、知人の勧めで出版社である株式会社宣伝会議が展開する教育事業「コピーライター養成講座」に通い始めたことがきっかけ。

その後、デザイン事務所「サムシング」に就職し、栗田工業主宰のTVCFアイディア賞で銀賞・金賞を受賞する活躍を見せますが、事務所が倒産。そのままフリーランスとなりました。

その後は、コピーライターとしての仕事は継続しつつ、漫画「さよならペンギン」の原作や、矢沢永吉の自伝本の構成・編集を手掛けたり、沢田研二さんや矢野顕子さんなどのビッグアーティストへの作詞提供、現在もカルト的な人気を誇る任天堂のRPGゲーム「MOTHERシリーズ」のゲームデザイン・シナリオを担当するなど活動の幅をどんどんと広げていきます。

一方、プライベートでは1981年に一般女性と結婚し、同年に娘が生まれています。

前妻との間の娘を育てながら11年間不倫していた糸井重里

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糸井重里さんは1981年に結婚して娘を授かりますが、その翌年に女性週刊誌にて女優の樋口可南子さんとホテルで一晩を過ごしたことがスッパ抜かれました。

新婚で出産したばかりの時に不倫となれば、普通であれば相当な修羅場になることと思いますが…

なんと、糸井重里さんの奥様は「不倫も仕事の一環」として夫の不倫を容認。

糸井重里さん自身も「そういう妻だから結婚した」という内容の発言で妻との離婚を否定しながらも堂々不倫を公言。

この騒動の中、樋口可南子さんはコメントを求める報道陣に対し、結婚は望んでいないと宣言し、『妻子ある人を好きになったんじゃありません。その人にたまたま家族があっただけです』と芸能史に残る名言を残しました。

当然、大バッシングを浴びた樋口可南子さんですが、妻公認の不倫を11年間継続していきました。

2人の出会いは、不倫報道の1年前。新婚当初に行われた対談がきっかけとなったそう。

当時、映画や写真家の篠山紀信が撮影した写真集で大胆なヌードを披露して話題になっていた樋口可南子さん。「恥ずかしいという気持ちは?」と質問した糸井重里さんに対し「裸になるというのと素の自分を晒すというのは全然別の次元のことで、女優をやっていて恥ずかしいと思う瞬間はもっと別のところにある」と20代前半にも関わらず貫禄たっぷりに冷然と切り返した樋口可南子さんに糸井重里さんは惚れ込んでしまったのかもしれません。

11年もの間、不倫を続けた2人ですが、1993年に糸井重里さんは妻と離婚し、同年に樋口可南子さんと再婚を果たしました。

不倫を続けながらも前妻と離婚しなかった理由として、娘が理解できる年齢(小学校卒業?)まで待ったのではないかという説が有力と言われています。

糸井重里の娘の名前は「あんだ」?年齢は?

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前妻との間に生まれた娘さんは、『ほぼ日刊イトイ新聞』に「あんだ」という名前で度々登場しています。

この「あんだ」というのは愛称・ペンネームで、本当の名前は「ゆうな」さんというのだそう。

糸井重里さんが大の野球好きで読売ジャイアンツファンとのことで、野球の「安打」にちなみ「あんだちゃん」と呼ばれるようになったそうです。

生まれてからずっと父親が母親とは別の女性を愛しながら、母親とは別れずに小学校卒業まで…という何とも想像し難い状況で幼少期を過ごしたあんだちゃんですが、糸井重里さんのエッセイを読む限りでは、良好な親子関係のようです。

娘さんは、最初のご結婚と同年である1981年に生まれているとのことですので、2022年には41歳を迎えます。

ペンネームも「糸井あんだ」から「池田あんだ」に変わっており、「ほぼ日」の糸井重里さんのエッセイの中でも、既に結婚していること、そしてお子さん(娘)がいることが分かります。

「ほぼ日」の社員であり、2022年2月時点で「ほぼ日」の第2位株主として20.69%にあたる480,000株を保有しています。

「ほぼ日」の次期社長は糸井重里の娘?

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今年73歳となる糸井重里さん。後継者についてもインタビューで語っています。

「ほぼ日」の大株主から見ると第2位の娘を後継者にするのではないか…と推測されますが、糸井重里さんは「娘を後継者にするのもとてもいい考えだと思うが、娘以外の選択肢が100ぐらいある」と言います。

娘がいながら11年不倫愛を実らせた糸井重里に対する世間の声

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娘に「あんだ」という愛称をつけた独特のセンスや、ゲーム「MOTHER」に出てくる娘に対してのメッセージや、あんだちゃんがきっかけとなったエピソードが話題となっているよう。

ただ、不倫を公言していたことに対しては、やはり批判的な意見が多くみられました。

娘がいながら11年不倫愛を実らせた糸井重里 まとめ

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娘の成長を待って、11年の不倫愛を実らせたという糸井重里さん。

娘のためとされていますが、それは本当に娘にとって幸せだったのか?少し一般人には理解し難い問題ですが、エッセイの中に出てくる家族仲が良好なところを見ると、糸井家ではその形が最良だったのかもしれませんね。

不倫をしたらすぐに芸能界や世間から干されて仕事を失ってしまう令和の世の中では考えられない関係を続けていたお2人ですが、現在はとても仲睦まじく過ごされているようです。

今年73歳の糸井重里さん、「ほぼ日」の後継者に誰を選ぶのかにも注目です!