松方弘樹さんは、その存在感と豪快な私生活で知られ、多くの伝説を生み出しました。
この記事では、松方弘樹さんと弟の目黒祐樹さんの間に囁かれている不仲説を探り、さらに、親友の梅宮辰夫さん、大先輩の高倉健さん、そしてバラエティの盟友たけしさんとのエピソードも紹介します。
もくじ
松方弘樹のプロフィール
本名: 目黒浩樹(めぐろ こうじゅ)
生年月日: 1942年7月23日
没年月日: 2017年1月21日(74歳没)
身長: 173cm 血液型: A型
出身地: 東京都北区 赤羽台
最終学歴: 明治大学付属中野高等学校 定時制
所属事務所: MARE(最終所属)
松方弘樹のデビュー当時と弟・目黒祐樹の関係
・デビュー当時の松方弘樹
松方弘樹さんは、時代劇スター・近衛十四郎さんの長男として1942年7月23日に生まれました。
本名は目黒浩樹(めぐろこうじゅ)さんで、最終学歴は明大付属中野高校卒業です。
17歳で東映に入社し、下積みを経験することなく、主演でスクリーンデビューという幸運に恵まれました。後年、2世俳優の特典だったと述べています。
しかし、その後の道のりは順風満帆とはいえませんでした。
松方弘樹さんはもともと歌手志望だったのですが、同じ作曲家に学んでいた五木ひろしさんの歌声を聞いて夢を打ち砕かれ、俳優業に専念することを決意しました。
しかし、東映には同じく2世俳俳優の北大路欣也さんがおり、その父親は役員も兼ねる看板スター、市川右太衛門さんでした。
東映は北大路欣也さんを大プッシュし、さらに他の映画会社から菅原文太さんら年上の俳優が移籍してきて、いい役柄が回ってこなくなる始末。
最終的には、倒産直前の大映にレンタル移籍させられました。
晩年、「この映画のおかげで今も役者として飯が食えている」と語った出世作『仁義なき戦い』までは試練の日々だったといえるでしょう。
・実弟・目黒祐樹との関係
目黒祐樹さんは5歳年下の弟で、本名も同じです。
彼はハワイやアメリカ本土に留学していた時期があり、英語が堪能。島田陽子さんが出演して話題を呼んだ80年代の全米ドラマ『将軍 SHOGUN』ではエミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされています。
松方弘樹さんの死去に際しては、幼い頃から兄として尊敬していたこと、俳優として追いつけなかったこと、憎めない男だったことなどを目を真っ赤にしながら語った祐樹さん。
この兄弟に以前から囁かれていたのが不仲説でした。
共演がほとんどないことから浮上した噂のようですが、共演作は皆無ではありません。
映画では『実録外伝 大阪電撃作戦』、テレビドラマでは『徳川三国志』などがあるのですが、少ないのは確か。
また、自由奔放な女性遍歴で知られた松方弘樹さんと対照的に、目黒祐樹さんは女性スキャンダルに無縁で、妻・江夏夕子さんとはおしどり夫婦として有名。
性格や生き方の違いも不仲説に輪をかけたのかもしれません。
共演が少ないわけについて、目黒祐樹さんは「そもそもオファーがない」と告白。
顔立ちが似ていることがその理由なのだそうです。
共演が少ないのは不仲のせいではなかったのですね。成人してからも二人でお酒を飲むなど、関係は良好だったようです。
松方弘樹死去に親友・梅宮辰夫が男泣き
公私ともに仲のよかった梅宮辰夫さん。
二人とも芸能界きっての釣り好きで、釣り番組での共演も多かったですね。松方弘樹さんの密葬に参列したのは、内縁妻の山本万里子さん、最初の妻との間の息子(目黒大樹)と娘、目黒祐樹さん夫妻、梅宮辰夫さんの6人だけ。
大スターの葬儀とは思えないさびしさでした。
一緒に釣りに行く時は、いつも梅宮辰夫さんが二人分のお弁当を作っていたのだそう。
発起人の一人となった「松方弘樹さんを偲ぶ会」では、親友の遺影に向かい、俺の弁当が食べたくなったらいつでもこいと呼びかけました。
高倉健が松方弘樹にセリフ丸投げ?
高倉健さんとの初共演は「昭和残侠伝」シリーズの第1作でした。
任侠映画の全盛期、東映は鶴田浩二さんと高倉健さんの二つの派閥に分かれていたといいます。
鶴田浩二さん派の松方弘樹さんでしたが、高倉健さんから思いがけないチャンスをもらうことに。
何行のセリフでも平気だった鶴田浩二さんとは逆に、長いセリフが苦手だった高倉健さん。
ある時、「この部分、代わりにヒロちゃんが言ってくれる?」とまさかの丸投げ。
二人の役柄が兄弟分だったため、長いセリフを弟分に言わせ、兄貴分が「その通りだ」と答えれば問題なし。
まだ23歳の松方弘樹さんにとってはセリフが増えたわけですから、ありがたいことだったと回想しています。
たけしと組んでバラエティにも進出!
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の出演オファーを受けた時、周囲の人々は例外なく大反対したそうです。
それでも出演を決めたのは、「たけし」という人間に会ってみたかったから。
まったく畑違いのジャンルで大スターになった男に興味をひかれたのでしょう。
一方のたけしさんは、当初は「怖そう」「バラエティの柄じゃない」と及び腰だったよう。
その頃の松方弘樹さんといえば実録ヤクザ映画のイメージが強いコワモテ俳優。
けれども一緒に食事をした際に、すぐに笑い上戸であることが判明。毎週レギュラーでお願いできますかと聞くと、ニコッと了解してくれたそうです。
笑い上戸で汗っかきな「松方部長」はお茶の間の人気者になり、大物俳優がテレビのバラエティへ進出する先駆けにもなりました。
馬がこなせて、殺陣が見事で、着付けもできる俳優はこの人が最後だろうと映画監督の三池崇史さんは語っています。「遅れてきた最後の映画スター」ともいわれる松方弘樹さん。
この言葉が松方弘樹さんにはぴったりな気がします。