1995年、映画『Love Letter』で日本アカデミー賞新人賞を受賞し、長瀬智也さん主演のテレビドラマ「白線流し」(フジテレビ系列)などへの出演で当時爆発的な大ブレイクを果たしていた俳優の柏原崇さん。
端正な顔立ちで多くの女性ファンがいた柏原崇さんですが、現在はメディアに出ていません。
芸能界を干された…といわれる柏原崇さんですが何故なのでしょう?
持病のせい?傷害事件で?芸能界の権力者を怒らせた?などなど様々な噂が出てきたので、まとめてみました。
もくじ
干された原因は病気?傷害事件?それとも…。柏原崇プロフィール
画像引用:google.com
生年月日 1977年3月16日(45歳)
出身地 山梨県
身長 178cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ・映画
活動期間 1994年 –
配偶者 畑野ひろ子(2004年 – 2006年)
1993年の第6回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでグランプリを受賞して芸能界デビューした柏原崇さん。
1995年には映画『Love Letter』でスクリーンデビューを果たすと、同年の日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。
翌年1996年にはテレビドラマ『白線流し』に出演し、以降10年シリーズ化され柏原崇さんの代表作に。
デビュー以来、順調に出演作を増やしていった柏原崇さんですが、2003年テレビドラマ『いつもふたりで』(フジテレビ系)収録中に激しい頭痛と手のしびれに襲われ緊急入院することになりました。
大人気俳優の突然のドラマ降板に世間は心配の声で溢れました。
柏原崇の病気は?診断名は何?
画像引用:google.com
柏原崇さんが診断された病名は『頚肩腕(けいけんわん)症候群』。
所属事務所を通して「とても楽しく撮影していた矢先の出来事だったので、入院がくやしくて残念で仕方ありません」と悲痛なコメントを出した柏原崇さん。
ドラマの撮影は2002年12月上旬から始まっていたようですが、月末頃に頭痛と手のしびれの症状が出たといいます。
当初はインフルエンザによる症状かと思われていましたが、年明けの1月3日に柏原崇さんの実家がある山梨の病院で精密検査を受けたところ「頚肩腕(けいけんわん)症候群」との診断を受けました。
ドラマの収録は前年内に2話分を撮り終えており、年明け1月6日から都内で第3話の収録が行われていましたが、夜になって柏原崇さんの体調が悪化。
急遽翌日の7日に都内の病院に緊急入院し、医師の判断でドラマの降板が決まりました。
ドラマの出演者クレジットでは主演の松たか子さん、坂口憲二さんに次ぐ3番目の序列で、重要な役でしたが、第3話以降の柏原崇さんの代役は、葛山信吾(かつらやましんご)さんが全て務め、すでに途中まで撮影が進んでいた第3話に関してはすべて撮り直しの作業が行われたそうです。
『頸肩腕症候群』はどういう病気?柏原崇が行った治療とは?
画像引用:google.com
柏原崇さんが発症した「頚肩腕症候群」とはどのような病気なのでしょうか?
一般的に、首・肩・背中・腕・手首・手などに痛みがあるような時、検査を受けて痛みの原因が見つかれば該当する病名がつきますが、明らかな原因がわからない場合に、この「頚肩腕症候群」という診断名になるのだそう。
症状としては、肩こりや頭痛、上肢の痛みやしびれ・冷感・めまい、首・肩・腕の筋肉痛などがあげられます。
診断がつきにくい病気の総称ため、考えられる原因も、頸椎椎間板の異常、首・肩周辺筋肉の疲労、精神的ストレス、内臓疾患など様々。
患者の多くはデスクワークなど、長時間同じ姿勢で作業することによる「使いすぎの過労」が原因で、首や肩、背中の筋肉の緊張状態が続き、筋肉の収縮や血管の圧迫から結構が悪くなることで、乳酸などの疲労物質が排出されずに蓄積されることが原因だと言われています。
柏原崇さんの場合、俳優業のため過度なストレス状態が続き同じような症状が出てしまったと考えられます。
治療法は、原因である筋肉や血管の圧迫を取り除くことが必要とされていますが、一般的には安静を即すことや、全身運動を取り入れた体力や体の柔軟性向上、精神的なストレスが背景にある場合は、心理療法や軽い精神安定剤を用いたりもするよう。
起因するところが日々の生活習慣や姿勢ではなく心理的な要因の場合は治療が難航することも少なくないといいます。
様々なストレスが掛かってくるであろう芸能界ではなかなか治療は難航しそうですね。
柏原崇さんが芸能界から姿を消したのはこの病気が原因なのでしょうか?
病気から復帰するも1年後に傷害事件を起こした柏原崇
画像引用:google.com
実は、柏原崇さんはこの病気から半年あまりの療養期間を経て、2003年9月から放映されたドラマ『白線流し-二十五歳』で無事に芸能活動を復帰しています。
しかし、なんとその翌年の2004年末に傷害事件を起こしてしまいます。
この事件を起こしたことで、頚肩腕症候群の療養期間よりも長い期間芸能活動を休止することになったのです…。
事件は2004年12月30日、午後2時半頃。
柏原崇さんの自宅に近い世田谷区野沢で車を走らせていた時、駐車場で道路に80cmほど車をはみ出した状態で洗車をしていた男性会社員(40)と口論になりました。
「通りにくい。ほかの車にも迷惑になる」とクレームを言った柏原崇さんに対し、「他の車は通過している」と答えた男性に対して、さらに「運転してみろ」と言い返し口論となった柏原崇さんは相手に手を上げてしまい、顔を殴り4針縫うケガを負わせてしまったのでした。
傷害事件が発生して間もなくして柏原崇さんは謝罪会見を開きました。柏原崇さんは頭を坊主にして「馬鹿な事をした自分が恥ずかしい。申し訳ない気持ちでいっぱい」と語っています。
しかし、謝罪会見を開いた時点では被害者男性が「誠意を感じない」と主張して示談交渉に入る事が出来ず、示談が成立するまでに約1年という時間を要する事になりました。
病気回復も傷害事件後に芸能界を干された柏原崇。理由はほかにも…
画像引用:google.com
事件発生後、柏原崇さんの芸能活動歴を見ると2005年以降は仕事が激減していることから芸能界から干されたと見ていいでしょう。
デビューから10年間は33本のドラマや映画に出演していた柏原崇さんですが、事件後は7年間で9本と激減しています。
しかし、柏原崇さんが芸能界を干された理由としてもう1つ噂されていることがあります。
それは「畑野ひろ子さんとの結婚」です。
柏原崇さんは2000年に放映されたドラマ『恋の神様』で共演した畑野ひろ子さんと、事件の半年前である2004年6月に結婚しました。
お相手の畑野ひろ子さんは、大手芸能事務所「バーニング」の関連会社である「パールダッシュ」の代表取締役を務める谷口元一さんという男性のお気に入りだったのだとか。
谷口さんは2人の交際を良く思っておらず、結婚についても反対していたのだそう。
その反対を押し切る形で結婚したため、当時の日本の芸能界でかなりの権力を持っていたと言われる谷口さんに嫌われてしまったことが芸能界から干されてしまった理由だとまことしやかに噂されているのだとか。
病気、事件、離婚、災難続きの柏原崇の現在は?
画像引用:google.com
柏原崇さんは、芸能界の権力者の反対を押し切って結婚したと言われる畑野ひろ子さんとも、傷害事件が原因か1年半で離婚してしまいました。
その後は徐々に芸能活動から遠ざかっていましたが…、調べてみると現在はなんと女優の内田有紀さんの恋人兼有能なマネージャーとして活躍しているとのこと。
2人の出会いは1995年のCMで共演し、その後友人関係を経て2009年末頃から交際をスタート。
10年以上連れ添っているそうですが、結婚はせず事実婚状態が続いているそうです。
マネージャーとしての仕事ぶりは周りからも好評で「内田有紀の現場にいつもいるスーツ姿のイケメン」と話題になっているのだとか。
柏原崇が干された理由、病気、事件、現在の様子に対する世間の声
画像引用:twitter.com
芸能界から見なくなったことに対して惜しむ声が多くみられました。
イケメン俳優・柏原崇が干されたのは何故?理由は病気?傷害事件?芸能界の権力者を怒らせたという説も…!?まとめ
画像引用:google.com
病気を患ってから、傷害事件、離婚、と立て続けに災難があった柏原崇さん。
とても綺麗なお顔立ちで演技も高評価だった俳優さんなので、もし病気も事件も無かったら今ごろどんな活躍をしていたのか…と惜しむ気持ちになってしまいます。
今は内田有紀さんを裏方で支える敏腕マネージャーとして活躍しているとのことでした。
いつか、表舞台に戻ってくる日はあるのでしょうか…?