内田也哉子のファッションと髪型を解説! 母・樹木希林の着物、愛車も解説‼

本木雅弘氏の配偶者であり、三人の子供たちの母親として家庭を守りつつ、文筆活動を行っている内田也哉子。

その洗練されたファッションとヘアスタイルについて、ここで詳しく見ていきましょう。

また、母である樹木希林氏から受け継いだ着物の美学や、注目を集めている車についても触れていきます。

 

内田也哉子氏のプロフィール

本名:内田也哉子
生年月日:1976年2月11日
身長:不明
出身地:東京都
最終学歴:ニューヨークのインターナショナルスクール
事務所:不明

 

内田也哉子のファッションとヘアスタイルを解説

個性派俳優として名高い母・樹木希林氏の逝去後、内田也哉子氏は多くの授賞式やイベントに出席してきました。
どこへ行っても「樹木希林の代理」として、まるで母が自分に乗り移っているかのようだと、笑いを交えて語っています。
樹木希林ブームも、そろそろ落ち着いてきた頃でしょうか。

2012年からロンドンに移住した内田也哉子氏一家ですが、現在(2023年)は、かつて母と暮らした二世帯住宅で夫と三人の子供たちと生活しています。
コロナ禍がもたらした家族との密接な時間を過ごしていることでしょう。

 

内田也哉子氏は、ファッションとヘアスタイルが素敵だと評価されています。ファッションについては、子供の頃、母から服を買ってもらったことはほとんどなく、買ってもらったのはフォーマルな服だけでした。
親しい女優たちから不要になった服をもらい、それを着ていたそうです。

与えられた服をそのまま着るのではなく、自分らしく、心地よいスタイルにアレンジすることを楽しんでいた樹木希林氏。
その影響は、内田也哉子氏の個性的なファッションにも見て取れます。

また、洋服好きな本木雅弘氏の影響も無視できません。
17歳の時、本木氏が初めて連れて行ったのはコム・デ・ギャルソンの本店でした。
メンズのミリタリー風の服を選ぶと「よく似合う」と褒めてくれたそうで、今もその服は大切に着ていると話しています。

 

同じく個性的なヘアスタイルは、前髪を斜めに流したり、パッツンだったりと微妙な変化はあるものの、特徴的なのはアシンメトリーなスタイルでしょう。

画像を見ると、襟足はどうなっているのか気になりますが、もしかして刈り上げているのでしょうか。
顔周りは長めに残し、それ以外は短いヘアスタイルがお好みのようです。

 

母・樹木希林から受け継ぐ着物コレクション


内田也哉子氏の着物の装いにも、樹木希林氏の影響を強く感じます。

也哉子氏が結婚式のお色直しで着用した絽の振袖は、希林氏が愛娘のために古着屋で見つけてきてくれた1枚。波がしらをバックに鶴が舞う個性的な絵柄です。
希林氏は2015年のカンヌ国際映画祭で、この着物をなんと革靴を合わせて着ていました。

母からは「着物を体に合わせるのではなく、体を着物に合わせなさい」と教えられたそうです。
希林氏は明治時代のアンティークをはじめ、古い着物や帯のコレクターでもあったようですね。

 

・着物をまとうと母の気配を感じるという内田也哉子。

確かに、祖母や母が着ていた着物に袖を通すと懐かしさがよみがえったり、その着物が似合う自分に驚いたりといった経験をした方は多いでしょう。

母の愛した着物を受け継ぎ、それを身に付けることは内田也哉子さんにとっては母を思いだし、その存在を確かめることでもあるのだと思います。

 

内田也哉子の車は光岡自動車のクラシックカー?


内田也哉子氏の車についても、多くの関心が寄せられています。

2020年9月には、長男の雅樂(モデル名はUTA)氏が樹木希林氏の愛車・トヨタ オリジンを引き継いだという話題が報じられました。

希林氏はクラシックカーを中心に10台以上も乗り継いできた大の車好きでした。

 

雅樂氏によると、正式に譲り受けたわけではなく、新しい車を買わないのなら家にある車を使ったらという両親の言葉に甘えて使わせてもらっているのだとか。

しかし、注目を集めているのはこのトヨタ オリジンではなく、父・内田裕也氏の死の翌日、父の自宅に駆けつけた也哉子氏が乗っていた車ではないかと思われます。
その時、助手席には雅樂氏の姿がありました。

その車はペールピンク色で、クラシカルな雰囲気があります。
しかし、この車についての詳細情報はまったくありません。
ただ、写真に写っているフロント部分を見ると、光岡のユーガのように見えます。
この車がもとから也哉子氏の車なのか、希林氏が所有していた車のうちの1台なのかは不明でした。

光岡自動車のユーガについて調べてみると、ユーガは2000年より販売が開始され、2001年に生産終了となっています。

幼い頃、父の内田裕也氏とは年に一度か二度会う程度の距離感だったという内田也哉子氏。
破天荒で知られる両親の姿を見つめながら、いろいろなことを深く考えて年齢を重ねてきたのではないかと思います。

大きな影響を受けてきた存在がいなくなった今、これからどのような方向へ向かっていくのかに注目したいですね。