吉川晃司の実家は広島の旅館。父は被爆者で一般人の母と兄弟(姉)。吉川元春はご先祖様?

日本の代表的なロックミュージシャンである吉川晃司さん。

彼は音楽活動だけでなく、俳優としても活躍し、若い頃から変わらず今なお同性からも人気のイケオジです。

そんな吉川晃司さんがどのような家族のもとに生まれ育ったのか?

今回は、吉川晃司さんの実家や先祖、家族関係について紹介していきます。

【吉川晃司のプロフィール】

生年月日:1965年8月18日
身長:182cm
血液型:B型
出身地:広島県安芸府中町
出身校:修道高等学校中退
活動期間:1984年-
所属事務所:アクセルミュージックエンターテインメント

【吉川晃司の実家は原爆被害に遭った吉川旅館】

・吉川晃司の父親の実家

吉川晃司さんのかつての実家は広島県の有名老舗旅館『吉川旅館』

しかし、この吉川旅館も第二次大戦末期の原爆投下により被害を受けました。

吉川晃司さんが生まれる前、祖母が中心となって両親や祖父と経営していたのです。

しかしながら、広島県は1945年に原爆が投下されたことは周知の事実です。

祖母は原爆投下の約1ヶ月前に旅館を譲り渡し、疎開先に避難していましたので無事でした。

・吉川晃司の父親の被爆と音楽への影響

ただし父親は広島に戻ってしまったため、被爆してしまったそうです。

実際に吉川晃司さん自身は原爆被害を受けてはいませんが、実家と家族のこのような経験が彼のミュージシャンとしての活動に少なからず影響を与えているのです。

特に父親の被爆経験や自身が被爆者の子であるということは、彼のアイデンティティの一部となっていたようです。

彼は広島で生まれ育ち、幼い頃から両親や親戚から原爆の話を聞かされていました。

また、毎年8月の平和記念式典にも参列しており、子供なりに核兵器への嫌悪感を抱いていました。

その後、吉川晃司さんは黒沢明さんの映画『夢』や忌野清志郎さんからの話を通じて意識が変わりました。

核や原発、震災、平和について深く考えるようになったのです。

2010年には、母校の子供たちから依頼された曲『あの夏を忘れない』に反核のメッセージを込めて参加しました。

この経験をきっかけに、広島に生まれた人間としての使命を再確認したそうです。

それ以降も吉川晃司さんは、核や原発、震災、平和といったテーマについて、ミュージシャンとして何ができるのかを常に考え続けています。

例えば2013年にはMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島での始球式の後、『イマジン』を歌って核兵器廃絶を訴えました。

吉川晃司さんはただかっこいいロックミュージシャンではなく、彼の生い立ちから受けた影響と共に、深いメッセージ性を持ちながら様々な活動に取り組んでいるのです。

【吉川晃司は毛利元就の次男である吉川元春の末裔?】

吉川晃司さんの先祖が戦国武将の毛利元就の次男である吉川元春だという噂が広がっています。

しかしこの噂の真相ははっきりしていません。

少なくとも、吉川元春から吉川晃司さんまでつながる家系図のような明確な証拠は見つかっていません。

広島県周辺では「吉川」という姓は珍しいものではなく、それだけでは根拠が弱いと言えるでしょう。

また、吉川晃司さん自身もこの家系情報については明言していないため、詳細は不明なままです。

吉川元春は元々は毛利元就の子として生まれ、吉川家に養子として送り込まれ、吉川元春となった戦国武将です。

彼は不敗伝説で知られる存在です。

そのため、「芸能界ケンカ最強」という評価の高い吉川晃司さんとのイメージが合致しているとも言えます。

このような血筋が実際に繋がっていたら面白いですし、ファンとしてはそうであってほしいという願望もあるのかもしれません。

ちなみに、吉川晃司さんは2009年に放送されたNHK大河ドラマ『天地人』で毛利元就と敵対していた織田信長を演じました。

これも噂ですが、そのような因縁があるため、吉川晃司さんの親戚関係で一部で話題になったと言われています。

もし噂が本当だとすれば面白い話ですが、現時点では証拠はありません。

それが本当であっても、吉川晃司さんが演じる役柄についても口を出すほど古い家系なのか疑問です。

【吉川晃司の家族について。兄弟は?】

吉川晃司さんの家族構成は、父親、母親、姉が一人の4人家族です。

ただし、彼らは一般の人々であるため、家族に関する詳細な情報はあまり明かされていません。

父親の名前は吉川正俊(きっかわまさとし)さんで、かつて京都太秦で大部屋俳優として活動していました。

後に実家の吉川旅館を継ぐために俳優業を引退し、板前として働くようになりました。

しかし、戦争の影響で旅館が廃業した後は、喫茶店やタクシーの運転手、管理職など、さまざまな仕事を転々としたと言われています。

そして、父親は原爆投下直後に広島に戻ってきたため、被爆した経験があります。

母親と姉については、一般の人々であるため、詳しい情報はほとんど公にされていません。

ただし、吉川晃司さんは母親と姉を非常に大切に思っていると言われています。

父親との関係は少し不器用な面もあるかもしれませんが、女性の家族に対しては深い愛情を抱いているようです。

ただし、父親や姉との具体的な関係については明確な情報はありません。

吉川晃司さん自身が父との不仲を明言したりする証言もないため、おそらくは良好な関係を築いているのでしょう。

吉川晃司さんの家族については、彼のプライベートな情報があまり公にされていないため、詳細はわかりません。

しかし、彼の音楽活動や活動の中で、家族や故郷である広島に対する思いが感じられます。