美輪明宏の若い頃がイケメン&美人過ぎ! 美しきシャンソン歌手と寺山修司の関係

美輪明宏さんは、その華麗なる外観を保ちつつ、歌手、俳優、タレントとして多彩な活動を展開してきました。

若いころはハーフ風のイケメンとして知られていましたが、その実際の写真を見てみるとその真実が明らかになります。

美少年であった彼のシャンソン歌手としての活動を振り返り、さらに劇作家の寺山修司さんが美輪さんに捧げた戯曲についても触れていきましょう。

 

美輪明宏のプロフィール

  • 愛称: マルさん
  • 幼名: 丸山臣吾
  • 本名: 丸山明宏
  • 生年月日: 1935年5月15日
  • 身長: 161cm
  • 出身地: 長崎県長崎市
  • 最終学歴: 国立音楽大学附属高校中退
  • 所属事務所: オフィスミワ

 

若き日の美輪明宏:ハーフ風のイケメン&美女!

 

美輪さんは16歳で進駐軍のキャンプでジャズを歌い始め、歌手としてのキャリアをスタートさせました。
彼は元々オペラ歌手を目指して国立音楽大学附属高校で学んでいたため、その見事な歌声で聴衆を魅了することができました。

しかし、美輪さんの魅力はその歌声だけではなく、日本人離れした美しい顔立ちにもありました。若い頃の彼の顔は、驚くほどのイケメンでした。

彼の若い頃の顔立ちは、神話に登場するような美青年だったと言われています。
そのはっきりとした顔立ちは、古風な二枚目ではなく、現代の人々にとっても間違いなく美少年でした。

また、早くから自身の性的対象を男性と公表していた美輪さん。
彼の周りには常に20~30人の男性が取り囲んでいたという伝説もあります。

 

さらに、その容姿を女性に寄せていった後の美輪さんは、世の殆どの女性を凌駕する美しさを誇りました。

当時はハーフが少なかったため、はっきりとした顔立ちのイケメン・美女は、日本国内では非常に目立ったのです。

しかし、美輪さんはハーフではなく、両親は日本人でした。
彼の実家は長崎県長崎市の喫茶店で、父親は丸山作一さん、母親は丸山ヌメさんでした。
彼らはどちらも非常に美しい人々で、美輪さんはその美貌をしっかりと受け継いだのです。

 

美輪明宏:美少年シャンソン歌手としてデビュー

美輪さんはかつて「神武以来の美少年」と称されたシャンソン歌手でした。
「初代天皇である神武天皇の時代以来」という表現は、「最高の美少年」を意味します。

しかし、シャンソン歌手としての地位を確立するまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。

・美輪明宏の壮絶な幼少期

1945年8月9日、長崎県に原爆が投下されました。
美輪さんの実家も大きな被害を受け、父の貸付先は次々と破産しました。
返済を受けられなくなった家族は貧困に陥りました。

しかし、そんな中でも美輪さんは歌手の夢を見出し、声楽とピアノを学び始めました。

15歳で音楽学校へ進学するために上京しましたが、ある日帰省した際、生活の苦しい親戚を父が見捨てるような態度をとっているのを目撃しました。
激怒した美輪さんは父と大喧嘩の末、絶縁を言い渡されました。
仕送りが止まってしまったため、やむなく学校を中退し、進駐軍のキャンプで歌いながら生活費を稼ぎ始めました。

・転機となった銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」と三島由紀夫との出会い

 

 

17歳になると、美貌を武器にしてゲイバーでバーテンのアルバイトを始めました。

そんな中、銀座7丁目のシャンソン喫茶「銀巴里」で「美少年兼歌手」を募集する張り紙を見つけました。
美輪さんは応募した結果採用され、「銀巴里」の専属歌手となりました。

国籍、年齢、性別が不詳の謎の美少年「丸山明宏」として人気を獲得していきました。

そして、小説家の三島由紀夫、吉行淳之介、遠藤周作など、有名文化人から支持されるようになります。

22歳でフランスのシャンソン『メケメケ』を日本語で歌った結果、同曲は大ヒットしました。
三島由紀夫は美輪さんの魅力を「天上界の美」と絶賛し、マスコミは「神武以来の美少年」と評しました。

謎の美少年シャンソン歌手は、瞬く間に大スターとなったのです。

 

美輪明宏と寺山修司:『毛皮のマリー』

 

美しきシャンソン歌手の美輪さんに魅了された文化人の1人が、寺山修司さんでした。
1967年、美輪さんが演じることを想定して書き上げた戯曲が『毛皮のマリー』でした。

 

同年4月、寺山さんが書き、美輪さんが主演した舞台『青森県のせむし男』は、アンコール上演されるほどの大ヒットを飛ばしました。
同作は寺山さん率いる劇団「天井桟敷」の記念すべき第1回公演でした。第2回公演『大山デブ子の犯罪』を上演後、第3回公演の演目として書いたのが『毛皮のマリー』です。

美輪さんが歌ったシャンソン『ミロール』にインスパイアされた寺山さんが、同曲を土台にして戯曲を完成させました。

『毛皮のマリー』は男娼・毛皮のマリーと美少年・欣也を通し、人間の欲深さや情念、存在理由まで表現した名作となりました。
美輪さんの大切なレパートリーとして、寺山さんの死後もくり返し上演されています。

「無償の愛」を描いた普遍的な名作として、美輪さんは同作に深い愛情を注ぎ続けてきたのです。