“生ける伝説”矢沢永吉が35億の借金地獄!?伝説のロッカーが陥れられたオーストラリア巨額詐欺事件

「YAZAWA」「永ちゃん」と呼ばれ、日本各地に熱狂的なファンを持つロックシンガー矢沢永吉さん。

“生き方全てがロック!”と言われ、多くの人がその生き様に憧れを抱く矢沢永吉さんですが、過去に矢沢さんが経験した『オーストラリア詐欺&借金事件』はご存知でしょうか。。

矢沢永吉さんが負った負債額は、なんと35億。

オーストラリア犯罪史上2番目の被害額なんだとか。

今回は、YAZAWA世代を知らない人にも分かる、矢沢永吉さんのロックな生き方と35億円詐欺&借金事件についてまとめました。

35億の借金⇒完済!ロックな矢沢永吉プロフィール

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生年月日  1949年9月14日(72歳)

出身地   広島県広島市

学歴    広島電機大学付属高校(現 広島国際学院高校)卒業

職業    ミュージシャン歌手

活動期間  1972年 –

レーベル  GARURU RECORDS

高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京したという矢沢永吉さん。

1972年、ジョニー大倉らとロックバンド「キャロル」を結成。1975年にキャロル解散後ソロデビュー、日本を代表するロックミュージシャンです。

『矢沢伝説』とも呼ばれる数々のロックなエピソードがあることでも有名な矢沢永吉さんですが、中でも衝撃的なものが「35億の借金返済」と言われています。

矢沢永吉借金35億の経緯… 世界進出を目指していたロックスター

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ロックバンド「キャロル」の解散後、矢沢永吉さんは「元キャロルの矢沢」のイメージを払拭するべく「ソロシンガー矢沢」として矢継ぎ早にライブツアーを重ね、急速に認知を広めていきました。当時のファンは、いわゆる不良少年が多く、ヒートアップした観客が暴走したり警備員と喧嘩になるなど熱狂的だったという状況も手伝って、矢沢永吉の名は瞬く間に全国に轟くこととなります。

「ビッグになる」と誓って上京したその言葉の通り、1977年度の長者番付歌手部門にてロックミュージシャンとしては初の第1位を獲得。その後も長者番付の常連となります。

ソロシンガーとして20枚目のシングルを出した頃、矢沢永吉さんは世界進出を視野にいれて活動をし始めます。

オーストラリアに世界へ発信できる音楽スタジオや音楽学校を作ろうと、日本の銀行から融資した35億円でゴールドコーストで最も人気の地域『サーファーズパラダイス』の一等地に広さ1万平方メートルの土地とそこに建っていたビル2棟を購入。

さらにそこに新しい高層ビルを建設する予定でしたが、ちょうどその頃は日本ではバブル景気が終わり、不動産不況が訪れていたタイミングだったため、ビル建設の時期としては得策ではないと考え、しばらくはビル2棟に入っている40~50のテナント家賃収入を貯めて様子を見ようと、新たな工事は遅らせることに。

矢沢永吉さんは、このビルの管理などを行うため現地法人「カムストック・コーポレーション」を設立し、現地での責任者として、CM現場で出会って以来仲良くしていたハワイのコーディネーターが英語も達者で交渉能力に長けていることから適任と考え、テナントからの家賃収入の管理やビルのメンテナンスなどを任せ、経理部長にも現地法人の金銭関係を担当してもらっていました。

矢沢さんは、仕事を他人に丸投げするタイプではないらしく、テナントからの入金状況や様々な経費の出入金状況、さらに登記簿もオーストラリアの銀行からFAXで送ってもらい、自分の目で書類を全てチェックしていたそう。

全てが順調に進んでいる様子でしたが、10年ほど経った1998年1月。矢沢永吉さんは違和感を覚えます。銀行から送られてきたテナント料の入金状況の明細書の金額がわずかですが30ドル違っていたのです。

そのことを問合せるため、現地に連絡を取ろうとしたところ、思いもよらない事態が発覚します。

なんと、テナント収入が入っているはずの現地の銀行口座も、銀行の支店長も存在していなかったのです。。

すぐさま実態を調査するため日本から3人のスタッフが現地へ行きましたが、現地法人の事務所はもぬけの殻。

さらに調べると、送られていた登記簿は偽物で、購入した土地とビルは競売にかけられて既に別のオーナーの手に渡っていることが判明。

矢沢永吉さんには日本の銀行から融資してもらった35億円の借金のみが残りました。

矢沢永吉さんが信頼し、管理を任せていたコーディネーターと経理部長の2人が結託して巨額詐欺を謀ったのです。

世界進出の夢から一転⇒借金地獄へ…それでも魅せる矢沢永吉の反骨精神!

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矢沢永吉さんがオーストラリアで詐欺被害に合い、35億円もの借金を背負うことになったというニュースはすぐにメディアが飛びついて報道合戦に。

詳細も分かっていないまま「騙された矢沢永吉が悪い」というマスコミのバッシングの嵐と、のしかかる絶望感、借金のプレッシャー。。

矢沢永吉さんも精神的にとても辛く酒に溺れた毎日だったといい、「髪の毛がどれほど抜けたか。それで過呼吸。寝ていても過呼吸だった」と振り返っています。

とても音楽活動に集中出来る環境ではなく、騒ぎ立てるメディアから離れるためにも生活拠点をアメリカに移すことに。

そうすると、さらにメディアは矢沢永吉さんが逃げるようにアメリカに移住したと、ある事ない事を面白おかしく記事にしていったのだそう。

しかし、それが矢沢永吉さんにとっては逆に反骨のパワーとなったといいます。

例えば、破産をしたなら宣告するやいなやメディアは待っていましたとばかりに引っ掻き回すだろう、そんなメディアの思い通りになってやるものかと、そのためには時間は掛かってもきちんと借金にカタをつけてやる、という結論を出したのだそう。

また、1999年に始まった今回の詐欺事件のオーストラリアでの裁判でも正々堂々と戦い、2003年2月、詐欺を謀った2人に有罪判決が下され、今回の詐欺事件で悪用されたオーストラリアの法律も改正されることとなりました。

この詐欺事件はオーストラリア史上でも類を見ない、2番目に大きい額の詐欺事件でしたが、共謀していた2人の逮捕から1年後の2004年4月、矢沢永吉さんは35億円の借金を完済しています。

借金35億円を完済!スーパースター矢沢永吉の生き方

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35億を返し終えた矢沢永吉さんは、すぐに行きつけの店に向かったといいます。

「日本酒を気づいたら4杯ぐらいストレートで飲んでいた。当然、帰れるわけがない。『助けてくれ!』と携帯をかけて、うちの嫁さんが迎えに来たけどね。あれは今でも忘れない、最高の酒だったよ」と笑いながら話す矢沢永吉さん。

「自分が倒れて喜ぶ奴の思い通りになりたくない」という反骨精神で、なんと完済までの間は一度の返済の遅れもなく、銀行の担当者からも「返済の優等生」と言われたんだとか。

さらには、借金完済後、都内に15億円のスタジオを兼ねたビルを建設されたといいます。

なんとも凄すぎる矢沢永吉さん。

「人は、一瞬のハッピーがあったらまた走れる。つらいことのほうが多いかもしれないけど、ちょっといいことがあれば、また頑張れる」と語り、事件も今では「笑い話」となっていると話しています。

35億借金地獄の矢沢永吉の過去に対する世間の声

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ネットでは、矢沢永吉さんの35億円詐欺事件を取り上げた、2022年7月19日放送の「世界仰天ニュース」(日本テレビ系)を見た視聴者の絶賛の声が溢れていました。さらにYAZAWAファンが増えそうです。

35億借金地獄の矢沢永吉の過去についてまとめ

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信用していた人に裏切られ、35億円もの巨額な借金を抱えた矢沢永吉さん。

当時を「笑い話」として豪快に笑い飛ばす、まさに「ロック」な生き様に日本全国各地の多くの人々が憧れと尊敬の眼差しが集まるのも納得しました。

信念を貫き、自分を信じ続ける強さを持つ現在72歳まだまだ現役ロッカーの矢沢永吉さん。

今後のYAZAWAの活躍も楽しみです!!