ベテラン俳優として知られる水谷豊さんは、その熟練した演技力で、現在でも「相棒」をはじめとして多くのドラマやCMで加薬しています。
そんな彼の家族背景はどのようなものでしょうか。
また、ある俳優との類似性から、ネット上では兄弟説も囁かれています。
今回は、彼の学歴を振り返りつつ、大学進学の有無、そして卒業した大成高等学校について詳しく解説します。
もくじ
水谷豊のプロフィール
本名:水谷豊
生年月日:1952年7月14日
身長:168cm
出身地:北海道芦別市
最終学歴:大成高等学校
所属事務所:トライサム
水谷豊の実家の家族&俳優の兄弟がいた?
北海道芦別市で生まれ育った水谷豊さんの家族構成は、両親と3人の兄弟から成り立っています。
父親は炭鉱技師として働いており、その仕事の性質上、一家は炭鉱の町を転々としていました。
さらに、父親は多忙を極め、家に戻ることはほとんどなかったといいます。
そのため、水谷さんが父親としっかりと接することができたのは、家族が東京に移住した後のことでした。
この事実から見て、母親と4人の子供たちは、ほぼ母子家庭のような生活を送っていたと考えられます。
父親は家族を養うために、一生懸命に仕事に励んでいたのでしょう。
3人の兄弟については、詳しい情報は残念ながら見つかりませんでした。
ネット上で「兄弟」と検索されるのは、2016年に亡くなった根津甚八さんが関連しているようです。
水谷豊の学歴。大学受験失敗が俳優になったキッカケ?
・最終学歴は高校卒業
8歳の時に家族と共に東京都立川市に引っ越した水谷豊さん。
彼が小学生の頃に見た白黒テレビが、芸能界への道を切り開くきっかけとなりました。
その後、立川市立第一中学校に進学し、この頃に劇団ひまわりに入団しました。
学校では陸上部に所属し、オリンピックを目指すほどの情熱を持っていました。
高校は三鷹市の大成高等学校に進学しましたが、大学進学は果たせませんでした。
水谷さんは、東京商船大学(現・東京海洋大学)を受験したものの、結果は不合格でした。
この結果が、彼の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
・水谷豊が卒業した大成高等学校とは
水谷豊さんが卒業した大成高等学校は、東京・三鷹市に位置する男女共学の私立高校です。学生たちの進路に合わせて特別進学コースや文理進学コースなどが設けられており、偏差値は48から58となっています。ただし、水谷さんが通っていたのは50年以上前のことなので、当時の偏差値は現在とは異なっていたかもしれません。
高校時代、彼は学業と芸能活動を両立させ、バスケットボール部に所属していました。また、彼は学校で芸能界の話をすることは一切なく、クラスメイトたちも彼を「別世界の人」として見ていたようです。この経験が、彼が芸能界を離れて別の世界に進みたくなった理由の一つかもしれません。
・大学受験失敗と役者への道
東京商船大学(現・東京海洋大学)受験に失敗した後、働きながら浪人生活を始めた水谷さん。
しかし、あるときに「こんなことやっていてもいいのか?」という気持ちに強烈に襲われ、「来年もう一度受けるといってもそれまで自分のこの状態じゃ持たない」と思い発作的に2ヶ月ほど家出をした水谷さん。
その際、はじめは行くあてもなかったため、家の近所の公園の滑り台の上で野宿していたという。
その後山梨県山中湖までたどり着き、湖畔のレストハウスに2ヵ月間働く。
そして、2年間のブランクを経て1972年『泣くな青春』(フジテレビ)で芸能活動を再開。
7月スタートの日本テレビのドラマ『太陽にほえろ!』第1回に犯人役で出演。
その後、小学校・中学校時代からの同級生であり、学園ものの撮影で一緒になったコントロールプロダクションの女性会長が、夫である日本テレビプロデューサーに『傷だらけの天使』に推薦し「もう一度役者をやらないか」と誘われ、アルバイト感覚で役者の世界に戻った。
1974年10月、萩原健一主演の『傷だらけの天使』への出演が決定。
こうして水谷豊は俳優の道を突き進んでいくこととなりました。
まとめ
以上が、水谷豊さんの家族背景、学歴、そして卒業した大成高等学校についての詳細です。
彼の人生は、大学受験の失敗という逆境から、成功へとつながっていきました。
その結果、彼は今日、我々が知るような名優となりました。