加藤晴子さんは、同じクラスの岡村孝子さんと「あみん」というデュオを結成し、1982年7月21日に「待つわ」という曲でデビューしました。
このデビュー曲は驚異的なヒットとなり、120万枚以上の売り上げを記録しました。
しかし、デビューから約1年半後の1983年12月18日に、愛知県勤労会館でのコンサートを最後に「あみん」は活動を休止し、加藤さんは芸能界を引退しました。この活動休止の理由は、加藤さんが芸能界に馴染めなかったことや、岡村さんが加藤さんの気持ちを尊重したかったためとされています。
現在の加藤晴子さんの状況や、夫や娘についてご紹介します。
もくじ
【加藤晴子のプロフィール】

愛称:ハコ
本名:加藤晴子
生年月日:1963年(昭和年)1月2日
出身地:愛知県豊川市
最終学歴:椙山女学園大学卒業
【加藤晴子の引退理由と現在。夫婦関係、子供について】
ますはじめに、加藤晴子さんがなぜデビュー翌年に引退したのか、そして現在はどうしているかを紹介します
・「あみん」デビューから引退の理由
1982年、「あみん」のデビュー曲「待つわ」が大ヒットした後、翌年に活動休止し、加藤晴子さんは引退しました。
活動休止の理由は、音楽活動と学業の両立が難しくなったためでした。
当時の「あみん」は、大学の授業を受けるために名古屋で新幹線を利用し、仕事をこなした後にハイヤーで名古屋に帰り、翌日には大学でテストを受けるという過密スケジュールをこなしていました。
当時二人が通っていたのは椙山女学園大学。
いわゆるお嬢様系の女子大で、世間を賑わす芸能人は大学側から煙たがられ多様です。
そのため、大学側からも「芸能人は学校に来ないでほしい」と言われることもありました。
・引退後の進路と岡村孝子との関係
岡村孝子さんは当時、「ハコ(加藤晴子さん)はちゃんとした人だから、いつか大学を卒業したいと思っているだろうな」と感じていました。
加藤さんは自身の才能に自信を持てず、芸能界にいることに疑問を感じていたそうです。
他方、岡村孝子さんは自らの才能信じてソロデビュー。
ここで二人の人生は大きく別れることとなりました。
その後、加藤さんは「あみん」の活動休止後に大学に戻り、卒業しました。
加藤さんと岡村さんは「あみん」の活動休止後も連絡を取り合い、お互いの子供と一緒に遊びに行くなどして、以前の友情を保っていました。
また、岡村さんは音楽活動を続ける中で、加藤さんに相談事をしたり、支えになってもらったりしていました。
・加藤晴子の結婚と子供について
卒業後はテレビ東京に入社し、8年間勤めた後に結婚を機に退職。
加藤さんの夫や子供については具体的な情報はわかりませんが、娘さんがいることがわかっています。
【2007年の「あみん」の復活について】

次に、2007年の「あみん」再結成の理由や裏話を紹介します。
・岡村孝子さんからのオファー
2002年に岡村孝子さんのデビュー20周年記念シングル「天晴な青空」に加藤晴子さんがコーラスとして参加しました。
その後、2006年にはさだまさしとのコラボレーションで再び加藤さんがコーラスに参加。
これをきっかけに、2007年に「あみん」は再結成され、その旨が岡村さんのコンサートで発表されました。
・娘の学校の校長先生の忠告
再結成のきっかけとなったのは、加藤さんが自身の子育てを考え、娘の学校の校長先生から「子育ては生き様を見せること」と言われ、音楽活動を再開する決意をしたことです。
しかし、再開後もマイペースな活動で、一般の生活を中心に過ごしています。
加藤晴子さんは昔よりも綺麗になったと言われているようです。
「あみん」が再結成された際、加藤晴子さんの美しさが話題となりました。
デビュー当時は若くふっくらとした印象でしたが、再結成後は大人の女性として非常に綺麗になったと言われています。
再結成後も、「あみん」はマイペースな活動を続けており、定期的にテレビ出演やコンサートを行っています。
加藤晴子さんの素晴らしいハーモニーがこれからも楽しめることを願っています。
【まとめ】
・加藤晴子さんが「あみん」デビューの翌年に突如引退したのは、当時通っていた女子大学からの圧力と、自身の才能への不安が理由。
・引退後の加藤晴子は、大学を卒業、テレビ東京に就職した後、結婚して寿退社。
・2002年に岡村孝子さんのデビュー20周年の際、コーラスとして参加したのをきっかけに、2007年に一夜限りの「あみん」復活