内田裕也、ロッケンロールな伝説とは? 妻・樹木希林との若い頃のエピソード、馴れ初めを解説

内田裕也さん、その名前を聞けば誰もが「ロッケンロール!」のフレーズを思い出すでしょう。

彼は、白髪とサングラス、杖を手にした姿で知られ、その直言で日本のロック界に影響を与えました。

しかし、そんな彼は2019年に79歳で亡くなりました。
今回は、彼の若い日のハチャメチャな伝説と、妻である樹木希林さんとのエピソードを紹介します。

 

内田裕也のプロフィール

  • 本名:内田雄也
  • 生年月日:1939年11月17日
  • 死亡年月日:2019年3月17日
  • 身長:174cm
  • 出身地:兵庫県西宮市
  • 最終学歴:大阪府立三国丘高等学校卒業

 

内田裕也のロックンロール伝説

内田裕也さんは、その独特のイメージから破天荒な人物と思われがちですが、それは現実でも同じでした。

とにかく話題に事欠かず、妻の樹木希林さんも、大変であってもきっと楽しく充実した夫婦生活を楽しんだのではないでしょうか。

彼の人生には数々の伝説が残されています。その中からいくつかのエピソードを紹介します。

 

・ビートルズの東京公演で前座出演

1966年、ビートルズの東京公演が開催されました。

その前座として名高いのはザ・ドリフターズですが、内田裕也さんも出演していました。

尾藤イサオさんとのツインボーカルで、その日のために作られたオリジナル曲「ウェルカム・ビートルズ」を披露しました。
その曲はビートルズを意識したサウンドで、当時の内田さんはまだ奇抜なスタイルではなく、長身のイケメンロック歌手という感じでした。

しかし、ビートルズの東京公演で同じステージに立ったという事実は、まさに「伝説」そのものです。

ちなみに、内田さんは「俺は前座じゃない。ビートルズと共演してやったんだ。」と語っていました。

 

・オノ・ヨーコに「バカね」と言われた

ビートルズの東京公演の後、ニューヨークでの対談をきっかけにオノ・ヨーコさんと親交を深めました。

しかし、その関係は波瀾万丈で、よく喧嘩もしていました。

ある時、「ジョン(・レノン)がユウヤは酒を飲んで暴れてばかりで、結局何もしてないって言ってたわよ!」と言われ、激怒しました。
それ以来しばらく絶縁状態になりましたが、その悔しさをバネにして役者道を極める決意をしました。

結果、長身で個性的なルックスとキャラクターを活かし、俳優としても成功を収めました。
オノ・ヨーコさんに焚き付けられなければ、俳優としての活躍もなかったかもしれません。

ちなみに東京都知事選に出馬した時にオノ・ヨーコさんから「あら、バカね。」と言われたのは有名な話です。

 

・3度の逮捕歴

これを「伝説」と呼んでしまって良いかどうかはさて置き、内田さんの破天荒さが表われているエピソードだと思います。

1度目は1977年に、大麻取締法違反の疑いで逮捕されました。
ご本人は「マリワナは10年前からやっているわけで、いつかはこうなると思ってた。マリワナは攻撃的にならない。やさしく包んでくれる。」とインタビューで語っていました。

 

2度目は1983年に、銃刀法違反での逮捕です。酒に酔った状態でウドー音楽事務所へ行き、「外人のバンドばかり呼びやがって!」と刃渡り18cmの包丁を持って脅したそうです。
受付の女性が受話器を手にすると、「警察なら俺が呼んでやる!」と自ら110番通報をし、駆けつけた警察官に逮捕されました。
日本のロック歌手として、よほど鬱憤が溜まっていたのだと思われます。

 

3度目の逮捕は2011年交際中の女性への復縁の強要と、女性宅への住居侵入容疑でした。
別れ話を切り出された腹いせに「暴力団と交際していてアブリ(覚せい剤)をやっていると会社に連絡した。
今ならまだ間に合うからよく考えろ。」という内容のメモを女性宅に投函。
さらに、女性宅の鍵を無断で交換し侵入。帰宅した女性に通報され、逮捕されました。

謝罪会見では取材陣に反抗の動機を聞かれ「武士の情けでロックンロールに免じて勘弁してください。」と答え、失笑を買っていました。

 

妻・樹木希林との若い頃のエピソード

内田裕也さんは1973年に樹木希林さんと結婚しました。

しかし、2年後の1975年には別居。原因は内田さんのDVにあったそうですが、樹木希林さんも負けずに黒電話で殴りかかり、応戦していたそうです。

お2人のバトルの中でも有名なのは、樹木希林さんが娘夫婦のために二世住宅を建てた際のエピソードではないでしょうか。

娘・内田也哉子さんとその夫の本木雅弘さんとの間に子供が生まれたことで、樹木希林さんは二世帯住宅を建て同居を始めました。
それを聞きつけた内田裕也さんはなぜか激怒。「俺はどうなるんだ!」と新築の二世帯住宅に土足で上がり込んできたそうです。
そこで樹木希林さんが本木雅弘さんに「やっちまいな!」と命令すると、本木さんは内田裕也さんめがけてタックルをかまします。
タックルで抑えつけたところに、樹木希林さんが鉄パイプでボコボコに殴ったそうです。

これが映画なら大スター同士の壮絶なバトルシーンですが、あくまでもこれはプライベートのエピソードです。
後日、樹木希林さんがボコボコに殴った事は否定していましたが、鉄パイプを持ち出したのは本当だと語っておられました。

2019年のインタビューで明らかになりましたが、実は樹木希林さんは内田さんの部屋も用意していたそうです。
「いつでもお帰りください」と表向きには言っていましたが、結局は戻らずじまいだったようです。

 

樹木希林との馴れ初め

お2人の出会いは、樹木希林さんが出演していたドラマの撮影現場に、内田さんが訪ねたことがきっかけだったそうです。

初デートの翌日に内田さんが樹木希林さんにプロポーズをし、そのまま同棲がスタート。
結婚はそれから5ヶ月後でした。内田さんはジーパン姿で結婚式を挙げ、婚姻届は樹木希林さんが内田さんの分も書いて提出、というお2人らしいエピソードの連続です。

結婚から2年後にはDVが原因で別居してしまいます。

普通ならそこで離婚してしまうのですが、お2人はそれから40年以上、亡くなるまで婚姻関係を続けられたのです。

2018年9月に樹木希林さんが死去、その半年後の2019年3月に内田裕也さんが死去。今頃お2人は一緒にいらっしゃるのでしょうか。